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JUGEMテーマ:読書
「宿命づけられた場所は、外なのか内なのか、あるいはさらに別のところなのか」
『夜のみだらな鳥』、ようやく読了。
これはまさに、饒舌な語りによる「狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く騒然とした森」、時折何かがすぐ側を通り過ぎたように思えるも、姿は見えず、出口もわからないまま彷徨わされます。
かつてアスコイティア家のヘルベルトに仕えていた作家志望の男、ウンベルトは、今は唖の寺男ムディートとしてアスコイティア家所縁の寂れた修道院で暮らしています。このウンベルトが語り手として、アスコイティア家とこの修道院の最期を、過去と現在、修道院とヘルベルトの息子ボーイのためのリンコナーダの館等、時と場所を自在に変えながら、現実とも妄想ともつかない饒舌な語りで描き出します。
複雑な修道院の内部を知り尽くし、姿を見られることなく何処にでもいるムディートであるウンベルトは、その姿を度々物語の中で消しますが、語り手としては姿を変えながら常に存在しています。が、その自在さは閉ざされた物語の中のこと。呪縛された現在、幾重もの異形のものたちによる囲いの内で外界から守られた畸形のボーイよろしく、語り手も物語の真実も幾重もの嘘で囲われ閉ざされてしまっています。とはいえ真実などというものは、そもそも存在するのやら。広げたポンチョのような饒舌な語りが、何かを見せているようで、何も見せてくれません。縫い閉じられた袋から何かが、ひょっとしたら著者自身がのぞくように思えるも、すぐに穴は縫い閉じられます。窓を封じられた館、白い部屋、鍵で閉ざされた修道院、縫い閉じられる袋等々、延々と続く囲繞の、監禁の、密閉のイメージ、閉ざされた息苦しさ。閉塞感が募るほどに、過剰になってゆく不気味なイメージ。閉塞感は物理的なものに限らず、生まれない子供、出ない言葉、書き出せない物語としても描かれます。出口を求めるこの閉塞感はウンベルトの胃袋をも食い破っても行きます。
聖女と魔女、若い娘と醜い老婆、醜と美、異常と正常、主人と奴隷、正気と狂気の目まぐるしい入れ代わり。自分から自分を取り除きたい者、知らぬ間に自分から自分が奪われる者。
語りという嘘で支えられた世界の中心には、いるはずの語り手の姿はなく、そこにはただ黒い焚き火の跡が残るのみ。一体私は何の後を追ってここまできたのやら。呆然と本書を閉じた後は、そこに何があったのか定かでないにもかかわらず、ただただ無性に、あの騒然とした森が狂おしいほど懐かしくてたまらなくなっているのです。