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不思議なものはいくつも見てきた
でも初めてだ、生者と死者が
馬に相乗りしているなど……
中世のアルバニアを舞台にした物語。死者である兄が、遠方へ嫁いだ妹を、生前の約束どおり会いたがっている母親のもとへ連れて来たという伝説に基づくものです。
この伝説、私は「月間たくさんのふしぎ 2009年3月号 吸血鬼のおはなし」の中で出会いました。それはブルガリアのバラードをもとにしたものでしたが、9人の兄弟がペストで亡くなっていることや、皆が反対する遠方への婚姻を一番下の兄だけが賛成していたこと、母親がその息子の墓前で恨みをぶちまけるなど、ほぼ同じストーリーです。吸血鬼の登場しないこの話が、なぜ吸血鬼の号に掲載されているかというと、この号であつかわれている吸血鬼は、ドラキュラ的な西欧で作られた吸血鬼像ではなく、そのもととなっている東欧の吸血鬼、必ずしも人の血を吸うものではない、語義的には狼男をも含む吸血鬼、生きた死者たちだからです。東欧に伝わるさまざまな伝説が紹介されているだけでなく、ドラキュラ伯爵が東欧のどのような伝説や言い伝えから生まれてきたのかや、吸血鬼という古くからの幻想が、ペストの流行によって現実として捉えられたことなどにも触れられていて、非常に面白いので、この号も是非ハードカバー化していただきたいものです。
小説に戻ります。この小説は、死んだ兄コンスタンチンが妹ドルンチナを馬で2週間はかかる遥かボヘミアの婚家から母親が一人寂しく暮らす生家へ、生前の約束どおりに連れてきたという事件について、その真相の究明を命じられた地方警備隊長のストレスを中心にして書かれています。
ノルマン軍との戦争、その軍によってもたらされたペストのせいで、3年前に相次いで9人の息子すべてを亡くしていた母親は、かつて自分の反対していた遠方へのドルンチナの縁談を、いつでも会いたいときには自分が迎えに行って連れて来るからと約束することでおし進めた末息子コンスタンチンの墓前で、寂しさのあまり、その約束を反故にしたことを詰り、呪いの言葉を発します。その3週間後、突然娘が帰宅し、驚いた母親が一体誰が連れて来たのかを尋ねると、ドルンチナはコンスタンチンだと答えます。遠方に住むドルンチナはこの時まで、兄達が全員死亡していることを知らなかったのです。母親、娘ともに、この出来事によるショックがもとで病臥し、ほどなく二人とも亡くなってしまいます。
不思議な事件は人々の噂となって広まっており、救世主以外の死者が蘇るなどということは、教会にとっては異端思想に他ならず、放置できる問題ではないため、なんとしてもドルンチナをボヘミアから連れて来た実在の人物を探し出して、この噂を止めるようストレスは大主教から強く命じられます。それというのもこの時代、カトリックと正教会、キリスト教は東西2つに分裂しており、そのちょうど狭間に位置するアルバニアは、まさに両者が勢力争いをしている場所であり、この公国はつい最近カトリックから正教会派になったばかりなため、この状況を放置することはカトリック側につけいる隙を与えることになりかねないからです。大公もまたビザンチンとの関係を悪化させぬため、教会への配慮を官吏たちに求めており、大公補佐官室からも、早急に事件を解明するよう命令書が届きます。
兄を騙るものの仕業なのか、兄というのはドルンチナの嘘なのか、はたまた本当に死者の行いなのか、死者の行いだと信じるものの中にも、それは“誓い(ベーサ)”のためと言うものもあれば、近親相姦の欲望のためと言い出すものもあり……。
ドルンチナの婚家からの情報で、ドルンチナが誰か男の馬に乗って出て行ったことが事実であることが判明し、その後ほどなくドルンチナを連れ去った男が捕まりますが……。
この物語、不思議な出来事の謎をめぐる、半ば幻想的な物語なのかと思いながら読んでいたのですが、大主教、ビザンチンの代表者、大公の使者他大勢のものが集まる大集会において、事の顛末を説明するストレスの演説にいたる終盤では、さまざまなものが対立する深刻な世界情勢の中で揺れながら漂うアルバニアという国家において必要なもの、見直されるべきものについて熱く語られています。近い結婚派と遠い結婚派の対立もそうですが、この書が書かれた1979年頃のアルバニア、エンヴェル・ホジャの独裁のもと厳格なイデオロギー統制や鎖国が進められていた状況を憂えて書かれたものと思わずにはいられないものでした。そんな著者のアルバニアに対する思いに心打たれましたが、謎を巡る物語としても、非常に面白かったです。
われわれは皆、庶民も国王も、シーザーであれキリストであれ、自分自身の中に窺い知れない謎を秘めているものなのです。
評価:
エドワード・ケアリー 東京創元社 ¥ 3,240 (2016-09-30) |
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「栓は開けるものであり閉じるものであり、小さな丸い扉なんだ。ふたつの世界を隔てる扉なんだよ」
「わたしたちの血のなかには大きな秘密が隠されています。不思議な不思議なものが。おまえはこの血から逃れることはできません。」
ロンドン郊外のフォーリッチンガム、別名フィルチング特別区にはロンドン中のゴミが集められた私有地があります。その巨大なゴミ山の真ん中には、大海原の中の孤島のように堆塵館と呼ばれる屋敷があり、棄てられた家具や資材で作られたその大きな屋敷の中には、ゴミから財を成したこの地の管理人、アイアマンガー一族が暮らしています。アイアマンガー一族には、生まれるとすぐに与えられる「誕生の品」を、いつでも身につけ、大切にしなければならないという決まりがあります。この物語の主人公の一人である15歳の少年、クロッド・アイアマンガーの誕生の品は“浴槽の栓”。他の者は、安全ピンであったり、ドアの取っ手であったり、片手鍋、灰皿など様々、中にはマントルピースであるために、生まれてからずっと部屋から出ることが出来ない者もいたりします。クロッドは、なぜかこれらの誕生の品が発する声を聞くことが出来ます。それらは皆、「ジェームズ・ヘンリー・ヘイワード」だとか、「パーシー・ホッチキス」、「ヘンリエッタ・ニスミス」等々、それぞれ人名を連呼しています。誕生の品以外の身の回りのものの中にも同様の声を発するものが時々存在しています。
堆塵館には、純血のアイアマンガーの他に、使用人として働いている多くの純血ではないアイアマンガーたちも暮らしています。彼らは特別な地位についているもの以外全員「アイアマンガー」と呼ばれ、個人名を剥奪されています。ここでは彼らは名前だけでなく、不思議なことに過去をも失ってしまっています。彼らにも誕生の品が存在しますが、それらは金庫に保管されていて、一週間に一度しか触れてはいけない決まりになっています。
この堆塵館に、もう一人の主人公である赤毛で緑の瞳、そばかすだらけの丸顔の16歳の少女、ルーシー・ペナントが、アイアマンガーの血が流れているということで、孤児院から使用人として引き取られてきた時から、さまざまな騒動が起こり始めます。
複雑な堆塵館の内部や広大で恐ろしいゴミ山の様子、奇妙なアイアマンガー一族、物と人の不思議な関係、物が名前を連呼する謎、ルーシーの両親がかかった奇病等々、さまざまな事や謎が、ひょんなことから出合い、好意を抱きあうようになったクロッドとルーシーを通して、少しずつ明らかになってゆくとともに、あらたな謎もどんどん増えてゆきます。
ルーシーが実はアイアマンガーの血が流れていないことが判明して追われる身になった際、クロッドは、特別な能力を持つ選ばれたものとしてアイアマンガー一族のために全力で奉仕することを求められていたにもかかわらず、一族よりもルーシーを選びます。その結果……。
とっても久しぶりのエドワード・ケアリーです。私は『望楼館追想』以来なので、約12年ぶり?あ、『もっと厭な物語』内の短篇読んでるから、2年ぶり?でも、気持ち的にはやっぱり12年ぶり。この物語もまた、『望楼館…』同様不思議な舞台で奇妙な登場人物たちが織り成す物語ですが、児童書として書かれているそう。著者による挿絵までついているのが素敵。「子供向けのほうが自由に書けるような気がするときがある」と著者自身仰っているように、舞台の不思議度も登場人物たちの奇妙度もぐっとあがって、のびのびと奇妙な物語が描かれている感じがします。でもちゃんとボーイミーツガールありのハラハラドキドキの冒険譚になっています。大人の私も夢中になって読んでしまったうえ、今は先が気になって仕方がないです。
捨てられたものたちが荒れ狂う世界の真ん中に君臨するアイアマンガー一族の物語はどこへ着地するのか、絶望的な状況に陥ったクロッドとルーシーの運命はどうなってしまうのか、まったく外に開かれていなかった物語は今後どうなってゆくのか、ものすごく気になるので、なるべく早く2部を出版していただきたいです。
「わたしたちは大丈夫。きっと大丈夫。もしあなたがいなくなっても、わたしがきっと探し出す。どんなことがあろうと。わたしがあなたを見つけだす。わかった?」
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1714年7月、ペルーのリマとクスコを結ぶサン・ルイス・レイ橋が壊れ、5人の通行者が転落して亡くなる事故がありました。この事故をたまたま目撃したジェニパー修道士は、これがただの偶然によるものではなく神の意思によるものであることを証明しようと、墜落した者たちのそれまでの人生について詳細に調べて書物にまとめました。この物語は、語り手が、焚書となったその書の写しを読んだという体で書かれています。
「邪悪な者には破滅が訪れ、善良な者は年若くして天国に召されるという事実が認められる」というジェニパー修道士の考えに反して、修道士によって調べられた彼ら姿は、ことさらに善良でも、悪でもなく、思い通りにならない人生の中で、皆それぞれ苦悩しながら生きていたのでした。そして苦しい思いを抱え、新たな決意を持ってあの橋を渡ろうとした時に事故に巻き込まれたのです。
残念な風貌と吃音のために孤独に育った豪商の娘、モンテマイヨール侯爵夫人ことドーニァ・マリーアは、嫌々ながら没落貴族に嫁ぐも結婚生活は虚しく、その結果一人娘に過剰な愛情を注いでしまうことになります。それを疎ましく感じながら育った娘は絶えず反発し、結局ペルーを出てスペインの伯爵家に嫁いでしまいます。娘に去られてしまったドーニァ・マリーアは、ますます内向的となって飲酒にふけり、周囲からは頭のおかしくなった変わり者として嘲笑の的になってしまいます。ペルーで一番富裕で、一番訳のわからない老嬢と見なされるほど。しかし娘に対しては、相当な金銭的援助(そのおかげで娘の伯爵夫人はスペインにおけるあらゆる芸術や学問のパトロンとなったとか)と、愛情と種々の面白い話題に溢れる手紙の送付を続けていたのでした。機智に富んで優雅なその手紙は、のちにスペインの学校生徒の教科書や文法学者の研究資料となったとのこと。作中作なのでしょうが、この手紙の引用が非常に面白いです。ホントにこの書簡集あればいいのに!
ドーニャ・マリーアのもとには話し相手として修道院付属の孤児院から借り受けた娘、ペピータがいました。実はペピータは修道院長から、自分の跡を継ぐものとして非常な期待をかけられており、侯爵家へ行かせられたのも一種の修行だったのですが、当人はまったくそんなことに気づいてもおらず、むしろ見捨てられたような気持ちで、色々辛いことのあるこの変な老嬢のもとでの生活を続けているのでした。
娘の安産祈願のため、ドーニャ・マリーアは、ペピータを連れてサンタ・マリーア・デ・クルシャンブクワの神殿へお詣りにに行きます。その際、宿屋でペピータが修道院長にあてて書こうとした素直な愛情に溢れた手紙を読んだことで、気持ちを劇的に改められ、新しい生き方を試みようと決めた二日後、リマへ帰宅するためにペピータとともに橋を渡ろうとした時に事故が起こったのでした。
3人目の犠牲者は、修道院に捨てられ、そこで育った双子の一人、エステバン。兄弟であるマヌエルとは他の人にはわからない言葉で会話し、一心同体に過ごしてきたものの、ペリチョーレという女優の手紙の代筆をマヌエルが引き受けたことから関係がおかしくなりはじめ、怪我がもとでマヌエルが亡くなってからは、その人生を自分のせいで台無しにしたような自責の念と半身を失った悲しみとで苦しんでいました。心配した修道院長のはからいで、双子が尊敬していたアルバラード船長が、彼自身も亡くなった娘について後悔し苦しみを抱えながら航海を続けていたのですが、自分の仕事を手伝うよう説得にやってきます。自殺を試みるほど苦しんでいるエステバンに船長は語ります。
「人間には自分の力だけのことしかできないんだよ。できるだけ頑張るまでのことさ、エステバン。永いことはないんだよ。時はどんどん過ぎてゆくんだ。後になってみれば、年月の経つのは早いものだとびっくりするぜ。」
ようやく心を決めて、リマへ向かうため、荷物の運搬を監督するために川に下った船長と別れて橋を渡ろうとしたところで、事故にあったのでした。
4人目は、アンクル・ビオと呼ばれる人物。もともとはカスティーリャの名家に生まれたものの、正妻の子供ではなかったために居心地が悪く、10歳にしてその家を飛び出し、持ち前の聡明さでさまざまな仕事をこなしながら世の中を渡り歩き、そこそこの成功が掴めそうになるも、束縛を嫌う漂泊気質からそれに甘んじることなく過ごし、巻き込まれたトラブルがもとで、ペルーに渡ってきていたのでした。ペルーでも同じようにうまく立ち回る中、カフェで歌っている少女カミラ・ペリチョーレと出合います。、彼女の才能に惚れ込んだアンクル・ビオは、この少女を引き取って、種々の教育を施し、立派な女優へと育て上げます。その才能を愛し、どこまでも高みを目指させようとするアンクル・ビオに対し、カミラのほうは芸術に対する真剣味を失ってゆきます。カミラは、ペルー総督の愛人となって子どもを産んだ後にも様々な色恋沙汰に溺れ、舞台も引退してしまい、社交界に生きるようになります。ところが、不幸にも天然痘にかかってしまい、命は助かるもその美貌を失う羽目に。誰も寄せ付けず荒れ果てた荘園で子どもたちと孤独に過ごすカミラに対し、変わらず献身的に行動し続けるアンクル・ビオ。しかし、あることをきっかけにカミラから会ってもらえなくなります。アンクル・ビオはなんとかカミラと話をする機会を持ち、もうカミラのもとには現われない代わりに、身体に障害のあるカミラの長男ハイメを教育のため、一年間自分に預けることを承知させました。そしてハイメを連れてリマへ向かおうと、橋を渡ったときに事故が起きたのです。なので5人目はカミラの息子ハイメ。
以上の5名が亡くなった事故、これが神の摂理だとしたら、随分と皮肉な運命がお好きなのだなとしか思えません。著者はこの後、残された者たちのその後をも描きます。彼らの運命を調べて書にしたジェニパー修道士については、それを異端の書とみなされたために火刑となっており、これもなんだか皮肉な運命といった感じですが、それだけではなく、修道院長、ドーニャ・マリーアの娘クララ、そしてカミラに、愛が残されている様を描きます。不幸な事故があれどもそこに残る、大きな愛の存在を描くのです。
生者の国があり、また死者の国があって、その二つをつなぐ橋は愛なのだ、ただ一つ不滅なるもの、唯一の意味である愛なのだ。
5人の人物の人生が語られているにしてはかなり短い物語ですが、印象的なエピソードがたくさん入っています。物語そのものにも心動かされましたが、細部、小さなエピソードの数々が非常に魅力的でした。エーコの『ヌメロ・ゼロ』にちらりと登場していたことで、はじめてその存在を知った書だったのですが、手にして本当によかったです。映画も観たい!