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JUGEMテーマ:読書
『プリズン・ブック・クラブ』で取り上げられていた小説です。第二次世界大戦中、ドイツ軍によって占領されてしまったチャネル諸島のガーンジー島、そこが当時どのような状態であったのかを、ある読書会メンバーたちと女性作家との手紙のやり取りを通して描き出す小説です。
30歳過ぎの女性作家、ジュリエット・アシュトンは、戦争中イジー・ビッカースタフというペンネームで、戦時下の様子を巧みに面白く書いてきましたが、戦後次に書くものに行き詰ります。そこへ、元はジュリエットの物であり、彼女の名前と住所の記されていた本をたまたま入手したガーンジー島のドージー・アダムスという男性から、手紙が届きます。その本とは、チャールズ・ラムの『エリア随筆』、その手紙には、ドイツ軍に占領されていた時期、この本が彼の心をとても慰め、ラムはまるで友だちのような存在になっていたことが書かれ、島には書店がなく他のラムの著書や伝記などが入手できないので、ジュリエットの暮らすロンドンにある書店の住所を教えてもらえないだろうかという依頼が記されていました。自分自身もラムが大好きなジュリエットは、この手紙に快く応じて行きつけの書店との仲立ちをした上、先の手紙に書かれていた「ローストピッグをドイツ軍の目から隠すために」誕生したという“ガーンジー読書とポテトピールパイの会”の話に興味を持ち、それについて詳しいことを教えてほしいと返事を書いたことから、文通が始まります。
占領時、ガーンジー島では、あらゆる家畜がドイツ軍によって管理されていましたが、ある日、こっそり豚を飼育していた人が、ドージーや近所の人を招いてローストピッグを密かにご馳走してくれました。食糧難の中、久しぶりにお腹いっぱいに食べて盛り上がったため、招かれた人たちは皆すっかり長居していまい、夜間外出が禁止されている時間帯になってしまいます。しかし、皆気が大きくなっていたため、禁止令を無視して帰宅する事に。すると、運悪くドイツ軍士官たちに見つかってしまいます。禁止令を破ったことも問題ですが、豚のことがばれれば全員収容所送りになりかねません。銃を向けて詰問されたその時、エリザベスという女性がとっさに、これは「ガーンジー読書会」の帰りなのだと嘘をでっちあげました。この嘘を真にするためにはじまったのが、「ガーンジー読書とポテトビールパイの会」でした。ドージーはこの読書会を通じて、『エリア随筆』を手にしたのです。
ジュリエットが、「タイムズ」から依頼された読書に関する記事に、この読書会のことを書かせてもらえないかと依頼したことから、読書会の他のメンバーとの手紙のやりとりも始まります。彼らからの手紙には、読書会のことはもとより、爆撃による被害のこと、外部との情報が絶たれ、食べ物や物資の不足していた苦しい暮らしぶりのこと、それはドイツ兵にとっても同じことで、食べられそうなものは何でも口にしていたため、中には毒草を食べて亡くなる兵士もいたこと、地雷だらけだった海岸のこと、島では子どもだけでも助けるためにドイツ軍のやってくる直前にイギリスへの集団疎開が行われていたことなど、当時の島の様子も色々書かれています。また、ジュリエットからの手紙には、空襲を受けたロンドンの様子が描かれています。
読書会のメンバーは聖書やカタログ以外の本とは無縁の生活を送っているものが少なくありませんでしたが、皆なにがしかの本を選んで読み、それについて他のメンバーと語り合ってゆくうちに、始めは嘘をつき通すためのものであった読書会が、だんだん占領下の陰鬱な状況を忘れさせてくれる、心から楽しめるものになっていきます。読書によって皆が元気付けられていたのです。
しかし突然悲劇が襲います。この会をはじめるきっかけとなった勇敢な女性、エリザベスが、この島を要塞化する工事のためにやってきたトート機関が使い捨ての道具のように酷使していた強制労働者の少年をかくまったために、フランスの収容所へ連れ去られてしまったのです。
エリザベスは戦争が終わった今でもまだ、行方不明のままでした。エリザベスには戦中亡くなったドイツ軍の医師であり指揮官であった男性との間にクリスティーナという女の子がいましたが、皆からキットと呼ばれるその女の子は、読書会のメンバーたちによって育てられていました。
ジュリエットは島の人たちとの手紙のやりとりを通し、この島に実際に行くことを決めました。島で過ごすうちに、この島とこの島の人々についての本を書いてみたいと思うようになります。
この物語、戦争を扱ったものであり、かなり重い内容を含んでいますが、非常に楽しく読めました。というのも、この小説は、何を書けばいいか迷っていたジュリエットが、ガーンジー島のことを知って、エリザベスについての本を書くことを決意する物語であると同時に、彼女が最適のパートナーと巡り会って結ばれる物語でもあり、鈍すぎる両片思いの男女にさんざんやきもきさせられる恋愛小説でもあったからです。それに何より、ジュリエットのユーモア溢れる手紙の楽しさも。
多くの人がたくさん大切なものを失った様が描かれていますが、決して陰鬱な気持ちにしかなれないものではないのです。知らなかった歴史に目を向けさせられ、人の勇気に心打たれ、大切なものについて考えさせられながら、しかも楽しませてももらえるのです。アメリアの手紙に書かれていた、島のような本だと思いました。
でもひょっとすると、死を嘆く気持ちには終わりがあるかもしれない。悲しみは聖書にある大洪水のように、あっという間に世界をのみ込み、潮が引くには時間がかかります。でも、すでに小さな島が見えはじめていないでしょうか―――希望や、幸せの島?少なくともそれに似た島が。
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ニュー・イングランドの美しい港町の郊外にあるギリシャ神殿風の屋敷、マノン邸を舞台に、家族間のそれは激しい愛憎による悲劇が描かれた戯曲です。タイトルに「エレクトラ」がはいっていることから察せられるとおり、妻とその愛人によって殺された英雄アガメムノンの復讐を果たす、息子オレステスとその姉エレクトラについてのギリシャ悲劇を下敷きとしたものです。
いやもう、ほんと恐かった。母娘間で延々睨み合いが続き、どっちもどっちでとっても恐い。が、本当に恐いのは……。
さて、アガメムノン一家の物語、凱旋したアガメムノンが殺害される1部、異国へ逃れていたオレステスがアポロンの神託をうけて帰国しエレクトラと見え、父親を殺したアイギストスと母親を殺害する2部、母親殺しの罪のため復讐女神に追われるオレステスが、アテナイで裁きを受け、アポロンの弁護によって救われる3部という3部構成の悲劇をアイスキュロスが書いています。
『喪服の似合うエレクトラ』も、愛人ブラントの協力によって妻クリスティーンが戦争から帰還したマノンを殺害する1部、真実を知った娘のラヴィニアが、戦場から帰ってきた弟のオリンを説きつけてブラントを殺させ、その結果クリスティーンが自殺してしまう2部、裁きを受けるという選択をしない二人の行く末を描く3部からなるため、アイスキュロスの悲劇がベースとなっているよう。とはいえ、アイスキュロスの作品では、エレクトラは復讐を願う者として登場するもののあまり重要人物のような扱いではなく、むしろ復讐の実行者オレステスの物語になっています。
しかし、ソポクレスとエウリピデスは、ともに「エレクトラ」という悲劇を書いており、そこに登場するエレクトラは、母親とその愛人に対し激しい憎悪を抱き、オレステスの復讐を強く後押しする人物になっているので、ラヴィニアに反映されているのはこちらのエレクトラ像なのかも。
ラヴィニアはエレクトラ・コンプレックスそのままな、とってもファザコンで、母親に対してはライバル心というか、敵愾心しかないような女性。というのも、母親の愛人ブラントに、実はエレクトラも心惹かれているから。父親を独占していながら裏切るだけでなく、愛する別の男の心も掴まれているとあっては、恨みもするというもの。肉感的で魅力的な母親への嫌悪とその底にある同一化願望。
オリンは、この設定ではアポロンの神託は使えませんから、殺意の生じる要因として、異常なまでに母親への愛情をもった男性にされています。なので父親はむしろ邪魔者であるため、その死がブラント殺害につながるのではなく、自分を愛してくれているはずの母親が、女として別の男を愛し、その男のものになっていること、その裏切りへの怒りとブラントへの強烈な嫉妬心によって殺してしまうのです。その結果、誰よりも愛する母親をも失う羽目に。
アガメムノンの悲劇は、そもそもアイギストスの父親のテュエステスが、兄弟であるアトレウス(アガメムノンの父)から迫害されていたことから、アイギストス自身アガメムノンに恨みを持っているうえ、妻のクリュタイメストラは娘がアガメムノンによって生贄にされたことを恨んでいたり、悲劇を生むそもそもの要因が過去にありますが、悲劇が連鎖する本当の原因は、アガメムノンが神を怒らせてしまったために呪いを受けたことにあります。悲劇を支配しているのは、神なのです。それゆえ、解決するのも神。
この戯曲でも、そんな神の呪いのような、登場人物たちを縛り、舞台を支配する禍々しいものが存在します。それを象徴するものとして使われているのが、屋敷。まるで墓場のような、幽霊屋敷のような不気味さをもっています。そう、本当に恐ろしいのは、この屋敷なのです。そして、その対極にあるのが、罪悪を知らない人たちが住む“島”。クリスティーンとブラントが二人で行くことの叶わなかった場所、オリンにとっては子宮のような場所として憧れていたも失われた場所、ラヴィニアにとっては開放され本当の自分自身になりえた場所。けれど、島は遠く離れてしまい、最後は結局、ラヴィニアがマノン家の血筋という呪いを自らをもって禍々しい屋敷に封じ込める如く、すべての罪を一人で清算すべく、恐ろしいことを決意して終わります。恐い、この最後は本当に恐い。
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ムショの中での読書会…ちょっと意外で不思議な感じがしましたが、この書ではその意義深さが理解できるとともに、そのもととなっている本の力、読書の素晴らしさや楽しさ、それを改めて感じることができました。今すぐ取り上げられていた本を読んで書中交わされていた言葉に触れなおし、この書の読書会に間接的に参加したくなります。
友人が運営しているカナダの刑務所内での読書会に関わることになった女性ジャーナリストによる、1年間の記録がまとめられたものです。選書を手伝うだけのはずが、良い選書のためには実際に読書会の様子を見るべきだと勧められ、現場へ同行する事に。とはいえ、彼女にとってこれは非常にハードルが高いことでした。普通であっても、犯罪者たちに囲まれる読書会に参加するなんて、かなり勇気のいりそうなことですが、著者は数年前にロンドンで暮らしていた際、強盗事件に巻き込まれて心に深い傷を負い、未だにそれが完全には癒えていない状態であるため、尚更なのです。しかし著者は、判事をしていた亡き父親の言葉、「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」を胸に、なんとか刑務所の門をくぐります。
読書会で使われる部屋に通された著者は驚きます。そこには警備する看守がおらず、監視カメラもなく、ここまで案内してくれた警報機を持った教誨師は別室に姿を消し、読書会の運営スタッフと自分だけが残されるのです。そこへ次々と受刑者たちが現れ、読書会がはじまります。緊張と恐怖で、脳内では護身術の手順をさらうばかりの著者。結局この日は、恐怖ばかりでほとんど何も得られなかったものの、ここから著者の中のジャーナリストとしての好奇心と作家としての下心が芽生え始め、その後何度も読書会へ足を運ぶことに。
著者の緊張がほぐれるにつれ、しっかりと観察が行われるようになり、読書会の様子が詳細に紹介されてゆきます。ノンフィクションや小説、さまざまな書について、毎回色々な意見が交わされています。かなり鋭い見方や、監獄の中に囚われた身であるが故の視点などもあって、非常に面白いです。この読書会を始めた著者の友人キャロルや著者には、こういう風に感じてほしい、こういうところに気づいてほしいという希望があったりもしますが、必ずしもそのとおりになるわけではありません。しかし、自分の見方を提示することはあれども、参加者の意見を否定することはなく、むしろそれを尊重し、そこからキャロルも著者も新しいことに気づかされたりします。もちろんさまざまなき気づきは受刑者たちにもあり、読者である私自身も何度もはっとさせられました。
とはいえ、参加者が少なかったり、課題本を読んでこない者や意見を出さない者がいるなど、読書会そのものに課題がないわけではありません。そのためキャロルは、熱心な参加者を読書会大使に任命し、読み進められていない者を励ましたり、新たな参加者を誘ってくることを依頼するなど、読書会を盛り上げることに腐心します。時には読書会に著者本人を招くことも。
新しいことに積極的に取り組む意欲と人の役にたちたいという使命感をもつキャロルが、刑務所内での読書会を始めたきっかけには、フランスで発達障害者と介護者がともに暮らす共同体を設立した人物から言われた言葉にありました。「精神科病院の入院患者と刑務所の受刑者こそが、もっとも社会から阻害された孤独な存在である」。キャロルの別荘のあるオンタリオ湖のアマースト島から見える町には刑務所があり、そこにいるもっとも社会から阻害された人たちのためになにかできないかと動きだす中で、読書会というアイデアが自然に出てきたそう。それは、「受刑者たちにも本を好きになってもらい、見習うべきヒーローやヒロインを見つけてもらえたら」、さらには「読書によって彼らを中産階級に引き上げたい」という願いがあってのこと。とはいえ、読書によって受刑者を更正させようなんてつもりはありません。ただ受刑者たちが充実した読書の機会を持てるようにすることが目指されています。
読書会に参加している受刑者の一人が、読書について語った印象的な言葉があります。
「本を一冊読むたびに、自分の中の窓が開く感じなんだな」
本を開くことは、自分自身の窓を開くことだということは、すごく共感させられます。読書によって閉塞感のある現実から窓を開くように束の間の開放感が得られることもあるし、開いた窓から今まで知らなかった自分自身が見えることもあるし、読書会で取り上げられていた『もう、服従しない―――イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』のヒルシが書物を通してより自由で平等な世界の存在を知ったように、どのような状況であれ、より広い、未知の世界の見える窓が開かれることもあります。キャロルが行っているのは、「最も社会から阻害された孤独な」人たちに、そんな窓を開く方法を伝授することであり、それが伝授された人たち自らの手によっても、それが広がっていっていることに胸躍らされました。
「彼らが夢中になっているのは、もはや麻薬ではなく書物なのだ」
もう一つ感動させられるのは、読書会では、刑務所内に存在する人種や民族やギャング団の派閥の壁がなくなっているということ。また、トラブルを避けるために他の受刑者と関わらないようにしていた者も、読書会以外の場であっても課題書などについて気軽にメンバーと会話を交わすようになっていたりすること。『アンナプルナ南壁』という映画中のある登山家の台詞に「われわれは違う国から来ているというより、“山”という同じ国の住人なんだ」というのがありますが、ここに集う人たちは、“読書会”という同じ国の住人になっているようなのです。ただそれゆえに、その場が少し排他的になってしまうことが、ちょっと残念です。
この書では、読書会や受刑者たちのことが描かれる合間合間に、著者が泊めてもらうキャロルの別荘のある島で目にする豊かな自然についても活き活きと描かれています。無機的で管理された刑務所とは対照的な、「もともと善良な」自然の豊かさと力強さを描くところに、著者の人の善を信じる気持ちがあらわれているのかもしれません。
評価:
アン ウォームズリー 紀伊國屋書店 ¥ 2,052 (2016-08-30) |