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JUGEMテーマ:読書
イーヴリン・ウォー、ほとんど読んでいないのはたぶん出会いが悪かったからかと思います。英語の教材としてでしたから。確か「The Loved One」。不真面目学生だったために、いい加減に聞き流していた上、話半ばにして授業が終わってしまったため、全くその面白さに気づくことなく、退屈な授業の印象のままに退屈な話なのだと思い込んでいました。もっと短い話であったならば、あるいはそのときに好きになることもあったかも。いやいや、それよりも、せっかくの原文で読む機会を無駄にした自分自身が嘆かわしい。
そのせいか、この書を読んでまず素晴らしいと思ってしまったのは、どの話も短いというか、すごくいい長さだなということ。傑作短篇集なんだから、そりゃそうですが、しかもどれも単に短いだけでなく、たいへん密度が濃く、ウォーの面白さがギュウギュウに詰まっていたため、とても好きになってしまいました。なにしろ、上流階級の人々の滑稽な振る舞いを辛辣に描くなど、作中挟まれる笑いはどれも非常に意地悪なものなうえ、物語の展開にしても悲劇としか言いようのない容赦のなさでありながら、むしろその容赦のなさで笑いを取るような物語揃い、大変私好みだったのです。
印象的だったものをいくつか。
「良家の人々」、かなり酷い話でありながら、すごく可笑しい。半分耄碌したような祖父たち老人によって狂人扱いされ、家に閉じ込められてきた若き侯爵のグランドツアーに、語り手はチューターとして同行することになり、意気揚々とロンドンに向かい、旅行用の服を仕立てたり劇場を回ったりしていたものの……「自然は、怠惰な作家のように、明らかに長編小説の書き出しにしようと意図したものを、不意に短篇小説にしてしまうことがあるように思われる。」
零落する貴族、税や維持費による経済的困窮やそのための吝嗇は他の作品にも書かれていました。
「<ザ・クレムリン>の支配人」、パリで人気のロシア風ナイトクラブを経営する亡命ロシア人の語る店を持つに至る過去の話。300フランの持ち金しかない状態でパリへやって来た男の取った意外な行動。「母国を失えば、人気のあるナイトクラブを所有するのさえ、むなしい」というこの短篇最後の行が、今チビチビ読んでいるナボコフのロシアへの郷愁に溢れたエッセイにつながる感じ。「かつて楽園があった……。かつてロシアがあった。」
「不況期の恋」、新婚旅行の際に、停車した駅でちょっと降りただけのはずが、妻を乗せた列車に乗り損ねるという失敗から、それは見事にどんどん思わぬ方向へむかってゆくのが、たまらなく可笑しい物語。そもそもの婚約の時点からして、それでいいのか?だったように、容赦ない展開の犠牲者になるにふさわしい人物が、そうなってしまう話。
「現実への短い旅」、書くことに行き詰まり経済的に困窮する作家が、映画会社から脚本を書いてほしいと依頼され、その活力に溢れて慌しく多様で充実した、でも無駄な仕事に翻弄される物語。「人生で初めて“実生活”に触れたんだ。僕は小説を書くのをやめようと思う。それは、いずれにせよ無駄骨なのさ。書かれた言葉は死んでいる――最初はパピルス、次は印刷された本、今は映画さ。芸術家は、もはや一人で仕事をしてはいけないんだ。芸術家は、自分の生きている時代の一部なんだ」等々語らせておいて……
「アザニア島事件」、『黒いいたずら』で用いられたアフリカ東岸の架空の島を舞台にした、誘拐事件の話。人々の振る舞いが辛辣に描かれるのも可笑しいうえ、誘拐されたらしき女性からのメッセージが暗号になっていると解読を試みるケンブリッジから来た青年やら、身代金を持ってやって来た記者の書く妄想記事の妄想っぷりの酷さやらに笑いが止まりませんでした。
「ベラ・フリース、パーティーを開く」、英愛条約が結ばれた後もアイルランドに残ったイギリス上流階級の一族、フリース家の最後の一人である、今や近隣では笑いものになっている老女が、朽ちかけた屋敷で、古書を売ったことで得た1000ポンドを使ってクリスマスパーティーを催すことを思いつき、懸命に準備しますが……。ひぇ〜!この書一番度肝を抜かれた作品です。
「ディケンズ好きの男」、浮気している妻の気を引こうとブラジル探検隊に加わった男のたどる悲惨な運命。お金はあるが運のない、これまた容赦ない話の犠牲者たるにふさわしい人物の話。
「見張り」、農業事業を始めるため遠国に行く男が、事業に成功するまでチャーミングな鼻の婚約者が自分を待っていてくれるように、見張り役として仔犬をプレゼントしたところ、仔犬は懸命に巧みにその使命を果たし続けるも、ある時強敵が現れ、あわや婚約者は別の男性と結婚しそうになるも……。見事な「鼻」話。
「勝った者がみな貰う」、長男と差をつけられまくりで育った次男が、長男においしいところを持っていかれ続ける話。兄と兄を偏愛する母親の姿がかなり辛辣に描かれています。解説によれば、兄を偏愛した父親に対するウォーの恨みが反映した作品なのだとか。
「イギリス人の家」、長閑な田園暮らしを脅かす土地開発を、近隣住民が揉めつつも阻止しようとする話。オチがまさに「イギリス人の家」。
などなど。長編も読みたくなってきました。
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すごく不思議な小説。
メラニーという結核に冒された女性の物語。彼女には裕福な新進気鋭の刑事弁護士である夫ガイと、病気のせいで早産する事になったものの無事に7ヶ月育っている息子リチャードがいます。寝室に寝たきりで、子どもと自由に触れ合えない不自由さはあるものの、古い家を改装した素敵な住居で、手厚い看護を受けています。病状もよくなってきているようで、検査結果がよかったことと、長らくおとなしく休んでいた「ご褒美」として、休む部屋を寝室から居間へと移動してもらえることになります。その居間に置かれた、結核が判明する前日、まだ自由に活動できた最後の日に骨董屋で購入した“ヴィクトリア朝の寝椅子”の上に寝床を移してもらい、訪れるはずの幸福を思い、暖かで心地よい春の空気に包まれて横になっているうちに、「恍惚」とした状態となって眠りに落ちたのですが、目覚めてみれば、そこは先ほどとは全く異なる薄暗く嫌な匂いのする部屋。なぜかメラニーの意識は100年ほど前にこの寝椅子に臥せっていた別の女性ミリーの身体に時を越えて囚われてしまったのです。一体自分の身に何が起こっているのか、全くわからないまま、寝椅子の上から動けない状態で周囲を観察し(この描写が見事)、自分の世話をしている冷淡そうな女性や、訪れ来る人々との会話を通し、徐々に徐々に肉体の方の自己、ミリーのことがわかってくるとともに、何とか本来の自分であるメラニーに戻る方法を考えますが……。
精神が別の人間の肉体という牢獄にとらわれ、そこからなんとか脱出する道を探るスリリングなタイムスリップファンタジーのようであり、謎だらけの状況が徐々に明らかになるミステリアスな物語でもあり、個人のアイデンティティーが崩れるサイコホラーのようでもあります。また、極端に不自由な状況の女性が自分自身を探求し、自己の開放を求めるフェミニズム小説として読むこともできそう。
メラニーとミリーを繋ぐヴィクトリア朝の寝椅子、メラニーがこの寝椅子をたまたま立ち寄った骨董屋で購入したのは、何か猛烈に惹かれるところがあったためです。彼女はこの寝椅子を見たとき、誰かにこの寝椅子に押し倒されている、自分ではないミリーの身に起こったことの記憶を感じ取ります。そんなメラニーとミリーの繋がりの不思議さ。快適な状況で、病状も良くなっているような希望に満ちたメラニーと、心地の悪い状況で死に瀕しているミリーは全く対照的で、二人は全くの別人のようですが、なぜか意識は奇妙に混交してしまっており、メラニーとともに読者である私も困惑させられ、なかなか恐ろしい気分になります。とはいえ、時代も含め置かれた状況の違いによって二人が対照的にみえているだけで、本質的には同じなのかもとも読まされます。
この二人が時を越えて一体となる奇妙な出来事の鍵として、ヴィクトリア朝の寝椅子の上での「恍惚」が取り上げられているのですが、その点がこの小説を独特のものにしています。宗教的、性的なものも含む「恍惚」、それこそが自己の枠をはずし時間を消失させるものとして描かれているのです。
訳者横山氏の解説によると、著者がこの物語の着想を得たのはある修道士が野原で雲雀の歌声に聞き惚れ、うっとりしている間に、いつの間にか1世紀たっていたという伝承なのだそう。著者が読んだ話の出所がJ.M.バリーからさらに探検家ナンセンまでたどられているのが興味深いです。
この伝承、フランスの説教集、古いものだと12世紀のものなどに入っているようで、修道士が神に「天上の悦楽の一番小さなものの一つをお示しください」と願い続けた結果小鳥が現れ、その妙な歌に聞き惚れていたら…という話であり、「天上の悦楽に達するには数多の辛苦を経ねばならぬこと」のたとえとして語られたものなのだとか。恍惚によって時を越えたというよりは、恍惚の代価として、すっとばした辛苦分として時が加算されたということだったのかも。
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親愛なるミスター・ナドー
背筋を伸ばした男性がひとりでもいる限り、心の優しい女性がひとりでもいる限り、たとえ暗雲のたれこめた景色であってもわびしさは感じられません。希望は苦しいときには失われやすいものです。私は日曜日の朝は必ず起きて時計のねじを巻くようにしています。秩序と不動の心を保つための儀式のようなものなのです。
船乗りの間では天気について独特の言い回しがあります。はったり野郎と呼ばれる天気は人間社会にも当てはまると思います。先がまったく見えないでいるときに雲間から光が射し、状況がいきなり一変することもあるのです。人類がこの地球上で滅茶苦茶なことをしているのは言うまでもありませんが、我々は人として、美徳の種もおそらくどこかに埋めていることでしょう。その種はしかるべき状況が訪れたら芽を出そうとずっと待っているはずです。人類の好奇心、ねばり強さ、創意工夫、発明の才といったものは深刻な問題をもたらしました。人類が苦境から脱するためにも、こうした特徴が力を発揮することを祈るばかりです。
帽子をしっかりかぶり、希望を手放さず、時計のねじをきちんと巻くことです。明日という日があるのですから。
敬具
E.B.ホワイト
これは、すごい!心打たれたり、クスリと笑えたり、ゾッとしたり、感心したり、驚いたり……。様々な時代の様々な人の手紙集。
ウォーターゲート事件の渦中に肺炎となり入院したニクソン大統領への8歳の男の子からの手紙の可愛いこと。少年時代キューバのカストロが、ルーズベルト大統領に10ドル札をねだる手紙を書いていたとか可笑しい。警察バッジを収集していたプレスリーがニクソン大統領に送った麻薬危険薬物取締局のバッジを手に入れるための手紙などもあります。そのプレスリーが22歳のときに2年間の兵役についた際、彼のもみあげは絶対落とさないでほしいとアイゼンハワー大統領に嘆願するファンの女の子達からの手紙なんていうのも。望みのものを求める手紙は、他にもいろいろ。フランク・ロイド・ライトに犬小屋の設計を頼む男の子の手紙とか。ちゃんと設計したというのが素敵。
心打たれるのは、やはり、死や苦境を前にした人々の手紙。入水前のV・ウルフの手紙や、聴覚を失った苦しい胸の内とそんな自分自身を支える芸術について記されたベートーヴェンの手紙、南極探検隊のロバート・スコットの手紙、死地にいる兵士からの手紙…。また、決して届かない死者への手紙も胸に沁みます。
戦争、自由を求める戦い、奴隷解放、宇宙計画、科学的発見、事件、事故等々、個人の手紙の中には歴史が刻まれており、歴史的資料としても非常に興味深いです。中にはそんなことが!というものも。リンカーン大統領を射殺した人物の兄は、たまたま暗殺のすぐ前に駅のホームから転落した大統領の息子ロバートの命を救っていたのだとか。
興味深くない手紙が一通もないのですが、文学者関連の手紙は印象深いものが多いです。教材として「善人はなかなかいない」を用いている高校教師からの作品の解釈について問う手紙に対するフラナリー・オコナーからの返事とか、うわわわです。
「物語とは、読者が考えれば考えるほど、その意味が膨らんでいくものですが、意味は解釈という形では捕らえることができません。もしも先生方が物語に対して研究課題のように取り組み、明白な点を除いてどんな答えでも妥当だとしてしまわれるのでしたら、学生さんは小説を読む喜びをけっして味わえないと思います。解釈のしすぎは、解釈不足よりも確かに弊害があります。作品に対する感情のないところで理論を振り回しても、なんの感動も生じてきません。」
歪んだ解釈、作品が不当に扱われることに対する抗議の手紙は他にも。『ありきたりの狂気の物語』がファシスト的傾向があり差別的内容を含むという理由で公共図書館から撤去されたことについてのチャールズ・ブコウスキーの手紙とか。
「検閲は、自分自身と他人から現実を隠す必要のある人たちの道具です。彼らの不安とは現実に直面できないという能力の欠如にすぎず、私はそうした人たちに怒りをぶちまけることはできません。ただ、ただ、哀しいだけです。彼らは育った過程のどこかで、人間の存在に関する総合的な事実を見ないよう守られてきたのでしょう。多くの見方があるのに、一つの見方しか教えられてこなかったのです。」
『スローターハウス5』を卑猥だと焚書扱いする学校長に対するカート・ヴォネガットの抗議の手紙もあります。『スローターハウス5』に関しては、この作品の元になった戦争捕虜として過ごした著者の厳しい実体験が綴られた家族への手紙も掲載されています。
著者自身による手紙ではありませんが、モーリス・センダックの絵本『まよなかのだいどころ』を不愉快な作品だと焚書にした司書に対する編集者からの手紙なども。
「創造性溢れるアーティストと子どもとの間に立つ私たち大人は、自分の意見や強迫観念を反映させた態度をとらないよう、細心の注意を払うべきではないでしょうか?」
サンタさんの実在を問う女の子へのザ・サン編集者からの返信のように子どもに対する心温かな手紙も色々あります。とはいえ中には、冗談にしてもなかなか手厳しいものも。『ピーナッツ』のチャールズ・M・シュルツが、ちょっと感じの悪い新しい登場人物、シャーロット・ブラウンについての不満を記した読者の女の子からの手紙に対して書いた返信。シュルツはあまりの不人気さにシャーロットを登場数回にして消さざるを得なかったそうですが、この女の子への手紙には「きみやきみの友人たちは、罪のない子の死をやましく感じることになるんだよ。そんな責任を受け入れる心の準備はできているかな?」と、シャーロットの脳天に斧を突き刺したイラストとともに容赦ないことが書かれています。
私がこの本を手にしたのは、暗黒大王ニック・ケイブからMTVへのベスト男性アーティスト賞辞退の手紙が掲載されていたからなのですが、これがまたなかなか素敵。
「ぼくとミューズとの関係は、うまくいっている時でも気を抜けません。傷つきやすい彼女の機嫌を損ねかねない影響から守ってやるのがぼくの務めです。」