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リチャード・フランシス・バートンといえば、アラビアンナイトのエロ訳の人、さらには臀部愛好地帯(Sotadic zoneのタルホ訳)の提唱者としか、知らなかったのですが、実は当時危険と思われていたメッカへインド出身のイスラム教徒になりすまして巡礼を成し遂げたり、東アフリカの奥地でタンガニーカ湖を発見したり、アメリカ大陸を横断しモルモン教の聖地を訪れたり、国の使節として西アフリカのダホメー王国(!)へ奴隷売買を止めるよう進言しに行ったり、アンデス山脈を越えたり、アイスランドで地質調査をしたり、アラビア北西部で金鉱探ししたりと、世界のさまざまな地を旅した探険家的人物と知って驚きました。
フランスやイタリアを転々とした一家に育った子供の頃から言語の習得に長けており、36に及ぶ言語や方言に通じていたのだとか(伝記作者ヒッチマンによれば、インド滞在中に猿を40匹ほど飼い、猿語の研究までしていたのだとか。60語の言葉を識別し、単語集を作っていたそう)。言語に限らず、土地土地の風俗習慣も非常な好奇心で学んでいたそう。好奇心は特に人間に向けられ、人間の知られざる一面に関わることなら、不潔といわれることでも堕落とされていることでも、関心を持って取り上げずにいられなかったとのこと。あえてそういう方面にこだわったのには、西洋社会の偽善的道徳観への反感もあった模様。性愛方面のみならず、『おならの研究』なる書もあるのだとか。
バートン自身が異質であったせいか、奇人と呼ばれた人々との繋がりも色々あったよう。たとえば、エロチカの収集家であり、マゾヒストと言われたフレデリック・ハンキーと親交があったり、私家版として『カーマ・スートラ』や『アラビアン・ナイト』などの東洋古典の出版を行ったカーマ・シャストラ協会をともに立ち上げたメンバーには、かのヘンリー・アシュビー(『わが秘密の生涯』の最有力著者候補。書誌学者にしてエロチカ収集家)や印刷屋のレオナード・スミザーズ(ワイルドやビアズリーと親交があり、いつも葬儀屋の格好をしていたロリコン)等がいたり。
ブリタニカ百科事典から奇人認定されている(?!)ゴードン将軍からは高く評価されていたようで、スーダン西方のダルフールの総督の地位にスカウトされています。
ほらほらやっぱりエロ方面の人じゃないのという感じですが、地理学、民俗学、考古学、動物学、植物学、地質学的に興味深い記録に溢れる書を幾冊も書かれており、そんなことを言っていると、「私はジョンソン博士が彼の辞書の中の淫らな言葉をとがめた婦人にむかって言った言葉を引用して返事するほかはない。『奥さん、あなたはそんな言葉ばかりをさがしておられたんですね。』」って言われちゃいそうです。
さて、この小説は、そんなバートンの生涯について、東インド会社のイギリス軍人としてインドに駐在していた7年間のこと、メッカ巡礼を成し遂げたときのこと、アフリカ大陸でスピークとともにナイル川の源を求める探検をしたときのことを描いた3つの章が、死の床にあるバートンにカトリック教の秘蹟を授けた神父が、それが本人の希望であったのかどうか思い悩む章によって挟まれています。
人は誰もが謎である。実際に会ったことのない人ならなおさらだ。この小説はひとつの謎への個人的接近であるが、その謎を解き明かすことを目的としていない。
バートンの生涯に着想を得て書かれているとはいえ、単なる伝記小説というわけではありません。虚実入り混じった内容であるだけでなく、物語の構成が、バートン視点での物語と、バートンに関わった現地の人間の語りを交互に並べる形になっていて、さまざまな視点からこの人物を描くものになっています。解説によればそれは、西洋の小説において扱いの小さかった「彼ら(インド人、アフリカ人、アラビア人)をすぐ近くから、当たり前の親近感をもって描き」、「彼らの視線からも物語を紡ぎたかった」という著者の気持ちがあってのことだそう。
インド及びシンドの章では、現地で師を見つけてさまざまなことを学ぶ様やインドの女性と関わり東洋の性愛の世界に触れる様、ヒンドゥー教とイスラーム教、ネイピア将軍の下で現地人の動向を探っていたこと、男色専門の曖昧宿についての報告が自身の不利益になったことなどなどが書かれています。そして現地の言語や慣習を重んじる姿勢が、あまりに現地人に同化してしまう危うさとともに書かれいます。
アラビアの章では、インド出身の医師にしてダルヴィーシュ(一種の僧)に扮してメッカとメディナを目指す旅が書かれます。カイロから砂漠を越えてスエズへ、紅海を定員をはるかに超えた乗客を乗せた船で渡り、ラクダにのって陸路メディナへ、途中ベドウィンの襲撃にあいながらも無事メッカまでたどり着き、儀式に参加したりカアバ神殿をこっそり調査したことなど。
東アフリカの章では、ジョン・ハニング・スピークとともに多くの荷運び人を従えて東アフリカの奥地にあると聞くナイル川の源と目される湖を目指す厳しい旅が描かれます。現地人とのやり取り、徐々に深まり行くスピークとの間の亀裂、熱病、祈祷師ムガンガ、奴隷を商うアラブ人、タンガニーカ湖の発見、続くスピークによるヴィクトリア湖の発見、でもそれはあくまでヨーロッパの世界観のことであること。
どの章も土地土地の旅の様子が非常に鮮明に描かれているのですが、この著者は実際にバートンの足跡を追う旅をし、ボンベイで暮らし、メッカへの巡礼や徒歩でタンガニーカ湖へ旅したりしたそう。ブルガリア生まれで、主にドイツとケニアで育った、世界の多様性を身をもって知っている方だそうで、世界の多様性、人間の多様性をしっかと見つめたバートンを書くにふさわしい方のよう。実際のバートン自身のことを知るにはもちろん通常の伝記を読むべきなのでしょうが(といっても伝記によってバートン像は随分違うようですが)、『世界収集家』たる人物の見た、見られた世界を覗きたければ、是非手にしてみるべき濃厚な一冊です。
「僕は四分の三はヘテロで、四分の一だけがホモだと、自分に信じ込ませようと努力してきたんだ―――実際にはその逆だったんだ」(ロビン・モーム著『モームと私生活』)
同性愛とスパイというと、映画『アナザー・カントリー』が思い浮かびます。祖国を裏切りソ連に情報を流していたケンブリッジ・ファイブの一人、ガイ・バージェスをモデルにした作品。といっても、スパイになる前、パブリック・スクール時代の物語です。主人公の友人役で出演しているコリン・ファースが若いぃぃっ!
この映画は、外務省の高官でありながら、祖国を裏切りソ連のスパイとして活動していた人物の底に、同性愛者だったことが大きくあるんじゃないかというような視点の物語でしたが、祖国を裏切ったほうではなく祖国のために活動していたスパイ、先日読んだ『アシェンデン』の作者、サマセット・モームについて、作家となったこと、さらにはスパイになったことにおいても、モームが同性愛者だったことが大きいのではないかと滔々と述べ立てている本に出会ってしまいました。
モームがハイデルベルクで考え出した「ホモ隠蔽工作」の青写真とは、私の試論が許されるなら、「作家になるんだ。作家として社会的地位を獲得しよう。そして、作家を終生ホモ癖の隠れミノにするのだ」ではなかったろうか。
「白いハット(作家の顔)」の下の「ピンクのハット(同性愛者の顔)」に、「黒いハット(スパイの顔)」を被せて補強しようというのである。
1895年の「オスカー・ワイルド事件」が、英国の同性愛者に与えた動揺は計り知れず、自身の性的指向を知った若きモームも例外ではなく、イギリス社会で大手を振って生きるために、隠蔽工作を考えたというのはありうるように思います。とはいえ、そんな隠蔽工作の第一歩とされる生々しい男女の愛欲の世界を描いた処女作『ランベスのライザ』については、紹介されている粗筋を読む限り、女性嫌いの人物が書いたとしか思えない…。
旅の作家といわれるほど、各地を旅してまわったモームの足跡を追い、さまざまな資料を丹念に読み解きながら、旅の多くがスパイ活動と結びついていたのではないかという推理を展開されている他、モーム自身について、その素顔を明らかにしようとされています。時折、特に女性との関わりの部分において、著者の妄想が暴走したような田中一郎劇場がはじまってしまうところはご愛嬌(そこがこの書の一番面白いところかも)ですが、ABCD対日包囲網構想に関わるなど長きに渡ってスパイ活動を継続していたという点については色々納得させられます。
『アシェンデン』には、ケレンスキー政権を擁護して革命を阻止し、ロシアの戦線離脱を回避するというペトログラードでの任務の話があり、ロシア在住のチェコ人の間で絶大な影響力を持つ、Z教授なる人物、チェコスロバキア共和国の初代大統領となるトマーシュ・マサリク教授と接触したことなどが書かれていたものの、あまり状況がよくわからなかったのですが、この書に詳しく教えていただきました。マサリク教授がボルシェビキ側へ寝返った経緯だとか、日本がシベリヤ出兵へいたる流れだとか。
かつてCIAの前身OSSの情報将校であったタイのシルク王ジム・トンプソンが、シルク商売を隠れ蓑にスパイ活動を続けており、アメリカで東南アジア事情に明るかったモームと接触したこともあったのではという推理、さらにはジム・トンプソン失踪の謎も、スパイ活動を続けていたがゆえのことではとの推理は興味深いです。
モームやモームの分身アシェンデンが、諜報員の後輩であり、親交のあったイアン・フレミングの産んだ架空のスパイ007のモデルではないかという話も興味深いです。モームの親友ガーソン・ケーニンの書には、モーム自身が『007』の源流は『アシェンデン』にあると言っていたと書かれているのだとか。
フレミング自身、有能でさまざまな奇策を思いつくユニークな策略家だったようで、ジェームズ・ボンドのモデルは、フレミングの知っている実際のスパイたちに自分自身も交えて合成したという説もあるようです。その中にモームも含まれているのかも。
この本を書いている過程で、モームの先天性ホモ癖が、ビクトリア女王朝のホモ弾劾と相まって、兄たちへの劣等感を抱かせ、作家の道を選ばせ、諜報員になることまで決意させたことを知り驚いた。
チェンバレン英首相の大法官にまでなった次兄を見返すためのチャーチル卿をみずからの立身出世の仮想ターゲットにしたり、ヒトラーとも知己であったウィンザー公と親しくする一方、ゲッペルス宣伝相に追われる身となることなど、モームは夢想もしていなかったことであろう。
こうして、モームの波瀾に満ちた人生の軌跡をトレースしてみると、彼のホモ癖が理由でできたかすり傷のような些細な情念が、二つの大戦とその谷間の時代を凌駕していた「帝国主義」の奔流に押し流され、手術が必要なほど化膿してしまった出来物のように、モームの本心などおかまいなしに増大してしまったのではなかろうか。