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ミュリエル スパーク 白水社 ¥ 1,404 (2015-09-16) |
もし先生が私たちを裏切らなかったのなら、先生も裏切られたなんてことはないはずです。裏切られたという言葉があてはまるのは……
「十代にうけた影響はとても大切です」
「ええ、そうですね。それに反抗することになるとしても」
幼い少女たちの上に君臨していた、保守的な女学校にあっては型破りで熱心な独身の女教師が、学校を辞めさせられるに至った裏切りの物語でもあり、30年代に10代の日々を過ごした少女たちの成長の物語でもあります。
「あなた方の若い身体にしっかりした考えを教えこむつもりです。私の生徒は皆一流中の一流(クレーム・ド・ラ・クレーム)なのですから」
学校のカリキュラムを無視して、自身の価値観でさまざまなこと、芸術や文学、ファシズムや自身の恋愛のことなどを教え、美術館や博物館や劇場に連れ出す、そんな教師ミス・ブロウディは、今が人生最良のときと、熱心に子供たちと向き合っているのですが、学校では浮いた存在。他の大部分の教師からは好感を持たれておらず、校長にいたっては、何か問題があればすぐにでも辞めさせようと目を光らされています。ブロウディ先生は、とりたてて変わり者というわけではなく、当時中産階級によくいた進歩的な独身女性の一人のようですが、ただ保守的な女学園という場にはそぐわないのです。
校長たちの方針を知識を詰め込む<教え込み(インストラクション)>だと退け、自分が行っているのは「生徒の魂のなかにすでにあるものを導き出す」、真の<教育(エデュケイション)>であるとブロウディ先生は言っていますが、果たしてそのようなものなのか。「感じやすい年頃の娘をまかせてもらったら、私の思うとおりの子にしてみせる」という言葉通り、自分の思う方向にしか導く気がなさそうです。その方針は、最良のときの終わり、ファシズムへの傾倒とともに強まり、悲劇を引き起こすことになります。
ブロウディ組(セット)と呼ばれる、先生の取り巻き的な生徒たちがいるのですが、彼女たちとの関係についての記述がひどいのなんの。
先生はもう自分のお気に入り、というよりもむしろ、信頼できる生徒、それよりも、彼女の教育方針の進歩的で紛争を起こしそうな面について抗議を申し込む心配のない両親を持つ生徒を選んでいた。
そんな風に選ばれた5人の生徒たちが、「腹心の部下として養成」され、ブロウディ先生の受け持つ中等部をはなれ高等部へ行っても関係を保ったまま、常々探りをいれてくる校長先生に対する盾となっているのでした。
サンディはふと思った。ブロウディ組は、ブロウディ先生のファシスト党員で、ただ見ても行進しているとは見えないが、先生のために一致団結し、別の意味で堂々と分列行進しているのだ、と。
幼い頃は、ブロウディ先生に魅せられ、その影響を強く受けていた彼女たちでしたが、徐々に成長し、先生に対する見方も変わってゆきます。特に幼い頃から想像力豊かで洞察が鋭く、ブロウディ先生から一番信頼されていたサンディという少女を通して、その変化が顕著に描かれています。
ブロウディ組のなかでただ一人、非常に愚鈍に描かれているメアリーという少女だけは、成長がないというか、変化がないというか、理科室のマグネシウムの炎の間で右往左往した過去のままに、ホテルの火事の炎の間を右往左往して死ぬことにされていて、扱いの酷さに唖然となります。こういう他人をイラっとさせる愚鈍さや、そういう娘への周囲のあるあるな対応の描き方はこれぞミュリエル・スパークという感じ。
ブロウディ先生は生徒を思うように行動させようと、自分が神の摂理のごとく振舞うようになりますが、ブロウディ組の一人の裏切りによってその座から容易に失墜させられます。この物語、出来事が時系列に語られているのではなく、さまざまな時をいったりきたりしながら進められていて、多くの場面で先のことが予告されています。ブロウディ先生のような思い込みによる偽者ではなく、本当にあらかじめ各人物の運命を握っている語り手が存在するのです。それこそが著者な訳ですが、この「物語における神」は、ジョン・カルヴィンの著書を読んだサンディが神について発見したことのごとく、とっても意地悪。でもその意地悪さがもう、たまらなく癖になります。
「先生はただのゆきはぐれた女なのよ」
さて、「書記バートルビー」、なんじゃこれーな、面白くも怖いお話でした。ウォール街の建物の一室に事務所を構える弁護士の“私”は、すでに二人居る筆耕人に加えて、新たに若い男性バートルビーを雇います。仕事の効率にむらの有る他の筆耕人に比べ、物静かで坦々と仕事をこなす様に“私”は好感を覚えていたのですが、このバートルビー、写字以外の仕事、ちょっと指を添えて欲しいだけとか、ほんのちょっとしたことであろうとも、すべて、「そうしない方がいいと思います(I would prefer not to)」といって拒絶する奇妙な人物だったのです。反抗的な態度を示すわけでもなく、ただ静かにこう言うだけで動かないバートルビーが、どうやらまっとうな食事をとっていないことや、事務所が閉まった後や休日にもずっと事務所内に居ることなども明らかになり、さらに唯一行っていた写字すらも「もうしないことに決めました」と、やらなくなってしまうのです。そうなると当然のことながら“私”は、バートルビーを解雇しようとするのですが、バートルビーのほうは、やはりあのマジックワード的台詞、「そうしない方がいいと思います」を返すばかりで、ただ何もしないまま、幽霊のごとく事務所に居座り続けるのです。“私”は最終的に、バートルビーをそこに残したまま、別の場所に事務所を移してしまいますが、その結果……。
一体なんなのかと、その存在に思いをめぐらせずにいられないバートルビーの絶妙な異質さが見事です。
「バートルビー」の“私”同様、理解しがたい相手に対し、相手よりも自分を上に置きつつ、良識的に、良き人として振舞おうと、独り相撲を繰り広げるという展開は、次の「漂流船」にもみられます。
船員の多くを失い漂流中の黒人奴隷運搬船に対し、救いの手を差し伸べたアザラシ漁と交易を行っている船のデラーノ船長は、この漂流船の船長ベニートの奇妙な振る舞いや船中の様子を不審に思ったり、不安に感じたりしては、それを打ち消していたのですが、実は、この船は反乱を起こした黒人たちによって支配されていたという話。事態の把握を妨げていたのは、デラーノ船長の自分が正しいという思いや、その常識(白人は黒人よりも優れているだとか、謀をするには黒人はあまりに愚かだとか)であり、デラーノ船長が目にしていると思っていた「頭脳が劣っている人間につきものの、心からの献身ぶり」など実際には全く存在せず、“聡明な”人物によって反乱が起こされ、巧みに白人船長を脅し操っていたのです。そしてその危険な状況の船にあって、デラーノ船長が無事であったのは、「白人というのは、本来黒人よりも鋭敏な人種のはず」という思いに反し、ただただ彼が真相に全く気づいていなかったからこそだったのです。
真相がわかっていないのは、ベニート船長に対しても同じで、デラーノ船長とベニート船長の関係は、“私”とバートルビーのそれと似ているのです。相手よりも自分を上に置きつつ、良識的に、良き人として振舞おうと、独り相撲。当人の内奥が理解されないまま亡くなってしまう点も同じです。この物語の原作のタイトルが「ベニート・セレーノ」だというのも気になるところ。
この話を読んだ後に、「バートルビー」に思いを馳せれば、話中の“私”も、読者である私もバートルビーが理解できないのは、どうしても自分の常識でしか人を測れないからであることを改めて感じさせられるのでした。
「魔法使いたち」はわれわれの思想を馬の屁のように嫌っている。彼らは瞑想の対象に集中させられたままでいるのを好む。それらの対象は、この上なく内面的なもの、濃密なもの、魔法的なものに属している。
主要なものではなく、基本的なものはみなで十二ある、すなわち―――
薄明の原始。
柔らかな鎖と曖昧な数。
梯子によって養われている渾沌。
魚類空間と大洋空間。
数え尽くせない梯形。
神経の四輪馬車。
エーテル状の食人鬼。
藁の光線。
限界さそりと完全なさそり。
消えかかる星たちの精神。
円の領主たち。
職務の再生。
これらの基礎的な基本概念がないと、この国の人々との真のコミュニケーションは成り立たないのだ。
あ〜、これは、好きな人にはたまらんっ!!系ってやつではないでしょうか。そうでない人にとっては、なんじゃこれ?!っていう。
アンリ・ミショーによる、異国滞在記風散文集です。異国といっても架空の世界、<魔法の国>についての「魔法の国にて」と、<ポドマ>についての「ここ、ポドマ」の2編が収められています。それぞれの架空の国は、幻想的で魅力的な雰囲気というよりは、奇妙で不気味な雰囲気漂う場所。そんな不思議な世界を面白く観光させていただけるだけでなく、溶け込むことも理解することも困難な異国に一人ある状態の惨めさ怖さも味わわされる、ストレンジャー気分を満喫させられる一冊です。
<魔法の国>は、その名の通り、魔力に溢れた魔法使いたちの国です。風や雲を操り、霧を作り、水を従え、庭に自分用の星空の天井を作り、仔牛の肝臓を栽培し、顔を吐き、傷を取り外し、死者を利用し……といった、魔法使いたちの不思議な生活が、描かれています。
ある日、わたしは野原の端に、一匹のとかげを見た。とかげはやっとのことでそこを横切っていた。人間の腕のように肥ったとかげは、およそ三十センチほどの深さの溝を残していた、まるで重さが数ポンドどころではなく、少なくとも1トンはあったかのように。
わたしは驚いた。《あの中には少なくとも五十ははいっているな。》と、わたしの連れがわたしに言った。《何が五十もはいっているんだい?とかげかい?》《いいや》、と彼は言った。《人間がさ。どちらさんたちだか知りたいもんだな。》そう言うと彼は、居なくなった人間を調べに、急いで近所の家々に走って行った。誰だろう?そのことだけが彼の好奇心をそそっていた、そしてわたしは、そのことについて、それ以上に知ることはできなかった。どんな魔法で、またありそうもないどんな目的で、人々はこの全く小さなとかげの肉体の中に、こんな狭いところに、はいりこんでいたのだろう、それがわたしの驚きの理由だったが、そんなことは彼にとっては、疑問にも返答にも値しないことらしかった。
<ポドマ>のほうは、<魔法の国>以上に、グロテスクで残酷な様相を帯びています。複数の地名があげられ、それぞれに奇妙な人々の性質や慣習がみられます。人工的に生み出される壺をかぶったポドマ人、培養液槽から生えた食用にされる多肢の食人種や多尻の人間木、掘り取られ装飾品にされる眼球、頚動脈を切られかねない小さな人間の首飾……。
ドリドは、ポドマの他のどんな場所よりもずっと破廉恥だ。一年の最初の三分の一年間に生まれた極めて正当な子供たちでさえ、無造作に犠牲にされる。両親はしばしば自分たちのために彼らを要求する。彼らの子供たちは彼らにとって下剤として役立つのである。どんな下剤もこれほど甘くはなく、これほど完全でもない。人々は貝殻に包まれた子供たちの小片を分配する。
だが、なぜ、その子供たたちを生かしておかないのだろうか?《そんなことをしてもしばしば無駄骨を折ることになるだろう》、と彼らは言う。《その子供たちは悪い時期に生まれた。彼らは多分二十五歳以上は生きられないだろう。従って、彼らは下剤としてすぐれているのだから、どうして片意地になって、他のところで十分役立たせることのできる何日分もの食料を、むだ使いする必要があるのだろうか?》
* * * *
食人種のポドマ人たちは最も愛想のよい連中の中に入る。このポドマ人たちはいっしょにいることを好み、いっしょにいる時だけ仲が良く、群をなして休息し、抵抗し難く互いに相手の方へと傾いて行く。捕らえられた者はもはや放されることなくて死ぬ、その胸もその両腿も、元のままの姿を保つことは決してできずに。わたしは、壺をかぶった弟から幾本もの細長い帯状のものを引っぱり出しているひとりの男を見た。まだ死んではいない弟を、彼は腹いっぱい食べていた、ぼんやりとした、悲しげな、温和な様子で、恐らくは何らかの普遍的な問題にすっかり心を奪われながら。
言うまでもないかもですが、私は、たまらんっ!!方です。新訳が出てほしい。
中国の社会における境界、マージナルな場所や、境界の向こう側の人である異人について考察された書です。
マージナルナな場所のひとつとして取り上げられているのが宿屋なのです。
古くから人々の往来の多かった中国では、早くから各地に宿屋が出現したそう。宿屋には、「外なる世界(非日常的世界・異界)と内なる世界(日常的世界)とを繋ぐという」境界的機能があるため、「そこでは、内なる秩序が揺らぎ、殺人・食人肉・殺人祭鬼等という、内なる世界では絶対に許されない行為も、頻発」し、「異人・異属・魔女・幽霊・妖怪等といった異界の住人が出没する」そうで、宿屋を舞台とするさまざまな話が取り上げられています。
それはもう、奇妙で恐ろしい話のあることあること。盗賊が宿屋を営んでいて、宿泊客を殺して金品を奪うなんていうのから、殺した旅人の肉を販売するというケースも。動物の肉と偽って販売するだけかと思いきや、人肉の需要もあったのだとか。人肉食が日常的世界ではタブーとされているがゆえに、逆にそれが「一般の生活者とは全く違う世界」、「日常世界とは異なる世界」に生きる人外人である無頼のものたちのアイデンティティの証となっていったそうで、無頼集団、武装集団において唐の後半からカニバリズムが習慣化していたとのこと。日常世界と人外人世界とを繋ぐ境界の場であるため、宿屋や風呂屋、峠の茶屋などが人肉の生産・供給を行う場所とイメージされていたよう。また、宋代に流行した人を殺して神に捧げる「殺人祭鬼」に無頼が関わっていることも多かったそうで、宋の『夷堅志』には、宿屋に泊まった書生が不良少年たちによって危うく殺されて神に捧げられそうになるも難を逃れえたエピソードを含む「秦楚材」という話などがあります。
幽霊や妖怪の出没譚も様々、「板橋三娘子」も、そんな異界のものが現れる宿の話の一つとして取り上げられていました。
境界的機能をもつ場所である橋もまた、異界の住人が出没する話が非常に多いそう。橋に仙人が登場する話も色々あり、そこから仙人が昇天したといわれる橋も多くあります。仙人譚で面白かったのは、『夷堅志』の「神霄宮商人」という話。子供の頃、仙人の呂洞賓に出会ってその飲みかけの水を飲んだために未来を見る術を得た男が、橋のたもとで占いの店を開いたところ、その橋の側には溝掃除や娼家の掃除で生計を立てているぼろぼろの身なりの乞食が住んでいたため、憐れんで金を与えたら、それが呂洞賓だったという話。最も穢れたものにして最も聖なるものであるという両義的な存在として仙人が、境界的な橋や市に現れる要素を持った話がいくつか紹介されています。
もちろん幽霊や妖怪も多く出没します。「異界への入り口」である橋からは、異界のもだけでなく、将来この世で起こることの前兆も漏れてくると考えられ、最初に聞こえてくる物音で将来を占なう「聴響卜」が橋の上で行われていたそう。
橋を架けることは、道や井戸を作ることと同じように、徳を積む行為として宗教的に推奨されていたそう。もともと人知れずよいことをする、陰徳を尊ぶ考えがありましたが、陰徳の範囲が広がって利益を求めない「公共事業や医療行為など慈善事業、社会事業一般」といった行為までも含まれるようになったのだそう。架橋事業のおかげで寿命が延びるといった、典型的な陰徳陽報譚も取りあげられています。
境界的な場所としてさらに取り上げられている「茶館」を舞台にした話においても、茶館での忘れ物を持ち逃げせずに持ち主に返した陰徳によって命が救われる清末の話が紹介されていますが、帰宅予定の船が転覆するも乗り合わせずにすんだうえに、商売にも成功し金持ちになったという、架橋に比べれば、これぞ陰徳といったちょっとした行為でありながら、随分な報われようです。
境界である茶館にはやはり乞食の装いの仙人が現れる話もあります(やっぱり呂洞賓)し、幽霊も化物も現れます。
著者曰く、古代において市や広場がになっていた内と外を繋ぐ境界的機能を中世以降は、茶館が果たしたのではないかとのこと。演芸が演じられる場であったり、債権者に追われる債務者が逃げ込むアジールであったり。
さまざまな人が集いさまざまな情報が集まる茶館では、仕事探しや、種々の取引、街娼の営業なども行われ、詐欺などの犯罪の場ともなっていたとか。また紛争を解決する裁判の場でもあったそう。
ちょっと興味深かったのは、黒車の話。夜も明かりをつけず窓を覆って、乗客に道筋を知らさないようにして秘密の娼館に連れてゆくというもので、茶店で暗号を言うことでその車を呼んでもらえるそう。谷崎潤一郎の「秘密」的なドキドキが味わえそう。
明清以降、さまざまな秘密結社ができ、広いネットワークを持って社会に対し大きな影響力をもっていたそうですが、茶館はその連絡所であったそう。茶碗や箸を使った暗号などで身内を判別したり、情報をやり取りしていたというのが面白いです。
この書の後半は、異人についての考察ですが、取り上げられているのは無頼や用心棒、侠女と女幽霊、民間宗教の羅教について。
侠女と幽女についての章が非常に興味深かったです。科挙が定着した9世紀ごろから、官の社会では文化的教養が指導者層の必須条件となって、それが「男らしさ」の基準となり、“武”のほうは民間社会、裏社会にに後退し、無頼社会が形成されはじまるという状況の中、科挙受験生と美女、才子と佳人との恋愛を主題とする「恋愛小説」が誕生し、流行しますが、その後、民間において武侠小説が現れ、そういった恋愛小説の裏バージョン、パロディーとして生まれたのが「賢くて強い女」と「無能で軟弱な男」とが組み合わされた侠女小説ではないかという考察。また、同様の裏バージョン・パロディーといえそうな軽薄な男が幽霊女に誘惑される話も多く作られたそう。こちらの幽女型話の考察では、社会が変化し宗族のつながりが薄れてきたことで、個々の家族の比重が相対的に重くなり、その中核である夫婦関係、婚姻に重きが置かれるようになったため、未婚のまま若くして死亡した場合、救われないのではないかという考えが起こり、死者同士を結婚させる冥婚が流行したり(死者同士の仲人業がうまれたほど)、冥婚をおこなってもらえず放置された女性の幽霊が男性を誘惑し墓の中へ連れ込もうとする話が確立したのではと考えられています。
コラムにおいて、現代中国において冥婚が復活しているという話があってびっくり。高値で販売できるため冥婚用に死体が盗まれることがあるばかりか、2004年には、新鮮な若い女性の死体を確保するため、冥婚用花嫁斡旋業者が13歳の少女を誘拐し殺害する事件もあったとのことで、ぞっとしました。ガセネタであってほしい。
いろいろな意味で中国の奥深さを味わわせていただける書でした。境界的な場所については興味津々なので、この書の兄弟本『異人と市』も手にしてみたいです。
問 最後まで忘れてはならぬ四つのことは何か?
答 最後まで忘れてはならぬ四つのことは、死と、審判と、地獄とそして天国です。
「早わかり公教要理」
まさにファニーにしてグルーサム。
なんと、登場人物のほとんどが70歳以上の高齢者。夫婦、親族、友人、元恋人、元愛人、雇用関係等々、さまざまに繋がりのある老人たちの物語です。これという大きな筋はないものの、物語をゆるやかにつないでいるのは、高齢者たちのところへちょくちょくかかってくる謎の電話。「死ぬ運命を忘れるな(リメンバー・ユー・マスト・ダイ)」、名乗ることなくそう一言告げるだけの電話が、資産家の老婦人レティ・コルストンにはじまり、その兄ゴドフリー、その妻で著名な作家であったチャーミアンや登場する高齢者たちのところへ次々とかかってくるようになるのです。が、この物語は、この電話の謎を解き明かすものではなく、この電話の受け止め方や対応も含め、遺産を狙う老メイドやら、老メイドに強請られる妻に負い目のある老人やら、老人たちの観察と研究を愉しみとする老人やら、電話のせいで猜疑心や不安にとりつかれる老女やら、さまざまな登場人物たちの人間模様、それぞれの抱える問題や織り成す出来事が描かれたものなのです。老人たちの人間模様というとストーリーとしての面白みがないように思われるかもしれませんが、底意地悪い視線で暴くように描かれたそれは非常に面白く、後半にはさらに個々のエピソードが意外な展開や繋がりを見せて、あっと驚かされもするのです。
まだ短編集『バン、バン!はい死んだ』しか読んだことがありませんが、人の欠点や感じの悪さ、底に潜む悪意や捻じれた感情といった黒い部分の描き方の巧みさや、ブラックユーモアただよう残酷な出来事や奇想天外な出来事の発想の見事さは、この長編からも大いに感じられました。この小説ではさらに、高齢者ならではの身体的、精神的苦痛や、性格的な問題、人との交わりの困難などの“高齢者あるある”もまた、実に見事に描き出されています。それらが非常にファニーにしてグルーサムなのです。
老いと死が恐ろしくも滑稽に描かれてはいますが、軽々しく扱われている感じはしません。まさにタイトルどおりこの小説自体が「メメント・モリ」なのだと、ひしと感じさせられるのです。
高齢者たちの姿の描きぶりが見事なこの作品、著者が40歳を少し過ぎた頃の作品だということに驚きました。いやでも、加齢をこれまで以上に実感させられる、老いと死がより身近になった40代になったからこそなのかも。
「むずかしいわ」とミス・テイラーは言った。「死ぬ運命を忘れない努力を、年をとってから始めることは。若いうちに習慣づけるのがいちばんいいのね。」
私と「板橋三娘子」との出会いは、かなり昔。
まだ字の読めなかった幼き頃、くらしの手帖社『お母さんが読んで聞かせるお話A』を母親に読み聞かせてもらっていたのですが、書中のさまざまな話のなかで一番好きだったのが「魔法のまんじゅう」という話。ある旅人が、泊まった宿の女主人が不思議な術を使って作ったまんじゅうを食べさせることで宿泊客たちを驢馬に変えていることに気づき、彼女を騙して逆に驢馬に変えてしまう話。女主人が手箱から取り出した木製の小さな牛や人形に耕作をさせてまんじゅうを作るシーンが特に好きでした。この話こそが「板橋三娘子」だったのです。大人になって、岩波文庫の『唐宋伝奇集(下)』で再会し、やっぱり面白い話だと思いました。
岩波文庫の脚注では、楊憲益氏のエッセイがとりあげられており、この話の起源は『オデュッセイア』や『黄金の驢馬』などさまざまな変驢譚のある西方にあり、動物へ変身する魔術の源流は、アフリカの中理国にあるという説が紹介されていました。
あら、なんだか興味深い……とは思いつつも、だからといって何にあたればいいのやら??状態。それが先日読んだ中務哲郎氏の『極楽のあまり風』中の「入って行く足跡はあるが」という文中、『オデュッセイア』→「板橋三娘子」→『高野聖』の影響関係に触れられていたのですが、附註において、岡田充博氏の『唐代小説「板橋三娘子」考』によれば「板橋三娘子」の原話はインドにあり、泉鏡花は「板橋三娘子」読んでいなかったようだ、なんて書かれているではないですか!え!?どういうこと??というか、「板橋三娘子」だけを俎上に上げたような本(しかも大著らしい)があるなんて!これは、読んでみるしかないわけです。
というわけで手にしたこの本、ボリュームも価格も大著です。「板橋三娘子」に限らず変身譚に興味のある方にとっては大変面白いに違いない名著でした。
「板橋三娘子」の原話としてよく取り上げられてきているのは、『黄金の驢馬』と『オデュッセイア』の魔女キルケのエピソードですが、ヨーロッパにはグリム童話の「キャベツろば」に類するさまざまな変驢譚もあるそう。「キャベツろば」は、鳥の体の一部を飲み込んだことで特殊な能力を得た主人公が、女性に騙されてその能力を奪われるも、それを食べると驢馬になったり、もとに戻れたりするキャベツを発見したことで、そのキャベツによって女性に復讐を果たす話。
ヨーロッパには「板橋三娘子」といくつか共通点を持つさまざまな変驢譚はあれど、やや距離が感じられ、遠い始原の可能性は否定できないものの、直接の原話とみなせそうなものはみあたらないそう。
しかし、中東に目を向けると、『アラビアン・ナイト』の中にかなり近い話がみつかります。ペルシアのバドル・バーシム王子が海の王族の姫ジャウハラとさまざまな困難の末に結ばれる話の中のエピソード。船が難破し流れ着いた島にいた淫蕩な魔女ラープによって驢馬にされそうになるも、その島のさらに偉大な魔法使いの助力で逆に魔女を驢馬にしてしまう話。魔女が人を驢馬に変える方法、夜間のわずかな時間で大麦の播種から刈入まで行って、粉をひき食べ物を作り、それを翌日食べさせるという部分がよく似ている上、同じ食べ物を用意し、それをすり替えることで魔女を逆に驢馬にしてしまう手口も共通しています。これぞ原話か!?ですが、この話の成立は、9世紀後半に成立した「板橋三娘子」よりも新しい10世紀と推察されています。
続いて、インドに目を転じれば、仏典『出曜経』には呪術家の女性と関係し、家に帰ろうとするたびに驢馬にされて帰れなくなってしまった男が、シャラバラという草を食べれば驢馬から人間に戻れると友人に教えられ、無事に帰宅できたと言う話があるそう。が、これまた「板橋三娘子」からは遠い話。しかし、仏教説話以外の物語をみると、『カター・サリット・サーガラ』中の「ムリガーンカダッタ王子の物語」のなかには近い話があります。
ムリガーンカダッタ王子の侍臣の一人、パラークラマの体験談。ウッジャイニーの都である女の家に宿泊したところ、夜中に女が妖しげなことをはじめます。呪文を唱えながら家の中で大麦を播くや、すぐさまそれが育ち、女はそれを刈り取って粉にして、団子をつくったのです。その様子を覗き見ていたパラークラマは、女が水浴に行った隙に自分に出されるはずの魔術のかかった団子を、別の場所にあった魔術のかかっていない団子とすり替えておきます。結果女は魔術のかかった団子を自ら食べる羽目になり、雌山羊になってしまいます。パラークラマはその山羊を肉屋に売りますが、肉屋の女房は、女の親友であったため、パラークラマは復讐として孔雀にされてしまい……。
『カター・サリット・サーガラ』の成立は、11世紀ですが、著者ソーマ・デーヴァ曰く、これはより古い説話集『ブリハット・カター』に基づいて書かれているそう。『ブリハット・カター』原本は現存しておらず、著者とされるグナーディアやその成立時期には諸説あるようで、早ければ2世紀ごろ、遅くとも6世紀には成立していたと見られています。なので、これこそが「板橋三娘子」の「最も古く確かな来源」と言えるのではとのこと。
とはいえ、『カター・サリット・サーガラ』の話と『アラビアン・ナイト』の話を比べてみると、むしろ『アラビアン・ナイト』の方が「板橋三娘子」に近い部分があるため、この書ではこのような結論に達しています。
「『ブリハット・カター』所収の話が西方に伝わり、多様に変化しつつ『アラビアン・ナイト』の源流ともなってゆく過程で、その一支流が中国に伝えられて「板橋三娘子」となった」
では、この話はどのように中国に入ってきたのでしょうか。
「板橋三娘子」の収録された文献のもっとも古い資料は『太平広記』だそうですが、この話は薛漁思という人物によって書かれた志怪小説集「河東記」から採られたと記されています。薛漁思についてはほとんど情報がないそうですが、「河東記」から採られた話の中には、「杜子春」の道士サイドストーリー「蕭洞玄伝」(あらすじはこちら)などもあり、薛漁思の西域伝来の説話への感心が窺われるとのこと。
「板橋三娘子」の全体的な類話も、断片的なものも、それ以前の文献には見あたらず、この物語の翻案の過程については不明のようです。しかし、中国へ持ち込まれたルートについては推測されています。「板橋三娘子」原話の伝承者・運び手は、「東は中国、南はインド、北は西域北方の草原地帯からモンゴリアの高原にかけて、西はイランから遠く東ローマまで、いわばアジア大陸の全域がその活躍の舞台であった」イラン系ソグド人の商人たち、商品だけでなく、技術や物語、奇術や幻術も運んできたこれらの商人たちだったのではないかと。
さて、中国における変身譚の主流は、動物が人間に変身するものだそう。それは、人も万物に含まれ、同じ「気」によって成り立っているという自然観・生命観があるため、植物が動物に、動物が他の動物に、動物が人に変化することは自然現象とみなされていたためであろうとのこと。
比較すれば数は少ないとはいえ、人から動物に変化する話ももちろん種々あり、化虎譚などは特に多いよう。
他人を動物に変える話はあまりないそうで、多くは自らが変身する話。もとは変化する神々の話だったものが、時代とともに姿を変え、仙人や道士の術によるる変身譚になってゆきます。変化を自然現象と捉えることから、秘薬といった外的な力によらず内的な力で変化する話が多い点で、ヨーロッパの変身譚とは性格が異なっているそう。
一般的な人間の変身譚は、「気」の乱れや神罰による変化の話から、仏教の伝来によって因果応報的な転生譚が主流になってゆきます。多くは定型的なもので、物語として独創的で面白いものはみあたらないよう。ヨーロッパにおいてはキリスト教によって、動物への変化は、悪魔や悪霊による幻影として否定されていたため、そういう「魔」的な部分が想像力を刺激しさまざまな幻想的な物語を生んだのに対し、因果応報思想と言う「公認の宗教や道徳」に基づく中国の変身譚は、物語として発展・開花できなかったのではないかと指摘されています。
因果応報的な話とは別に、仏典経由で『出曜経』などの不思議な薬草によって動物になったり人間にもどったりする話も中国に入ってきましたが、やはり薬草という外的な力による変化の話はあまり受け入れられず、類話はほとんどみられないよう。また、この物語のような女呪術師が登場する話も、幻想譚として膨らんで行くことはなく、南方少数異民族の女性の現実の話の中に取り込まれていってしまったそう。
『カター・サリット・サーガラ』系の話も、中国風に巧みに作りかえられた「板橋三娘子」が生まれはしたものの、中国の伝統的な変身譚からは外れているため、以後物語として発展することはなかったよう。こちらも、悪質な宿屋や南方異民族が実際に使用すると考えられていた妖術など「現実」の話に取り込まれていってしまいます。
ところで、日本においても人から動物への変化の物語は仏教的な因果応報による転生譚が多いと言う点は中国と共通しているそう。神々の変身譚以降、人を動物に変化させる術についての話は日本には存在しなかったらしいですが、にもかかわらず異質なはずの外来の変身譚は強い関心をもって迎えられ、中国とは異なり『出曜経』のシャラバラ草の話や「板橋三娘子」はさまざまな翻案を生んだそう。これを著者は、異国の異文化に惹かれ易い心性や、それらを摂取したのち独自な加工をほどこし新たなものを生み出してゆく器用さといった日本人の性格の現れではないかとみていらっしゃいます。
仏教説話が主流であった時代には文献には姿を見せなかったものの、「板橋三娘子」系の話は唱導僧などによって各地に伝えられ、妖術使いが旅人を馬に変える「旅人馬」伝承の母体の一つになってゆきます(仏教における「畜生道」と結びついた山中の異界物語が基層にあり、『出曜経』のシャラバラ草話を基盤とした物語が生まれ、そこに「三娘子」の要素が融合した物語も生まれてゆきます。その後「三娘子」の物語が流布したことで、「三娘子」のみを原話とする物語も新たに生まれたとのこと。日本においては驢馬は中国のように普及しておらず奇畜であり続けたため、変驢譚は変馬譚になります)。そして江戸時代になり、文学において娯楽性の強い怪異小説が求められるようになったことで、読本、合巻にさまざまに姿を変えて現れるようになります。また、部分的な活用ですが小説に限らず、歌舞伎、謡曲にまで取り入れられたそう。
日本の近代の変馬譚として泉鏡花の「高野聖」が取り上げられていますが、この変馬のモチーフの来源については『黄金の驢馬』や『アラビアン・ナイト』、「板橋三娘子」、『殺生石後日怪談』、『催馬楽奇談』等、諸説あるそう。鏡花の蔵書の中には『唐代叢書』が含まれていたそうですが、交友のあった横山達三の『趣味と人物』によれば「彼は未だ三娘子を読まざりし也。彼は飛騨の国境の山中の物語を脚色するに、高野聖を以ってしたりし也」とあるそう。
「板橋三娘子」の原話探求だけでなく、物語中の様々な要素、悪しき宿屋の存在だとか、種を急成長させる術や、人形を操る術などについての考察もあり、さらには中国とヨーロッパの変身観の違いやら、中国と日本の外来変身譚の受容の違いやら、なる程と思わされる内容がぎっしりつまっています。さらに附論では、「キャべツろば」的な話の起源にも触れられています(『根本説一切有部毘奈耶雑事』)。本文から注釈にいたるまで、さらには年表、参考文献リスト、隅から隅まで非常に読み応えのある、素晴らしい一冊でした。