2018.03.25 Sunday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | -
“人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方の出来る人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分の都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。
<略>
だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。僕は君の心の中に、今日の経験が深く痕を残してくれることを、ひそかに願っている。”
“もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、―――コペル君、いいか、―――それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。子どものうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあダメなんだ。肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。いいことをいいこととし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断してゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。”
“自分の過ちを認めることはつらい。しかし過ちをつらく感じるとうことに中に、人間の立派さもあるんだ。「王位を奪われた国王でなかったら、誰が、国王でないことを悲しむものがあろう。」正しい道義に従って行動する能力を備えたものでなければ、自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。”
“「誤りは真理に対して、ちょうど睡眠が目醒めに対するのと、同じ関係にある。人が誤りから覚めて、よみがえったように再び真理に向かうのを、私は見たことがある。」
これは、ゲーテの言葉だ。
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから誤りを犯すこともある。
しかし―――
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。”
“僕は、ほんとうにいい人間にならなければいけないと思いはじめました。叔父さんのいうように、僕は消費専門家でなに一つ生産していません。浦川君なんかとちがって、僕にはいま何か生産しようと思っても、なんにも出来ません。しかし、僕は、いい人間になることは出来ます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことは、僕にも出来るのです。そして、そのつもりにさえなれば、これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。”
“僕は、すべての人がおたがいよい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。”
“本書の特徴はその多様性にあり、それぞれの小品は様々な異なる状況下で書かれたものである。したがって、ここに収めたどの作品も、読者諸氏の興味をそそり、すべてを満足させるものばかりではないと思う。しかし、もしそのなかに幸いにして読者それぞれのご趣味に合う作品があるとすれば、それは著者としてかかる目的を完璧に果たしたことになり、これに過ぎる喜びはない。”