2018.03.25 Sunday
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昔は腹がへったら家へたべにかえるというのでなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論が出るまでそれが続いたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っている限りの関係ある事柄をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。
あんたも女をかまうたことがありなさるじゃろう。女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない。
わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出会うと必ず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけはうそがつけだった。女もおなじで、かまいはしたがだましはしなかった。
しかしのう、やっぱり何でも人なみな事はしておくもんじゃ。人なみな事をしておけば乞食はせんですんだ。そろそろ婆さんが戻って来る頃じゃで、女のはなしはやめようのう。
「左近さん、世の中には困ったり苦しんだりしている人が仰山いなはる。それがわすらの言う一言二言で、救われることもあるもんや、世の中にはまた人にうちあけられん苦労を背負うてなはる人が仰山いる。ま、そういう人に親切にしてあげる人がどこぞにいなきゃァ世の中はすくわれしません。わしら表へたって働こうとは思わんが、かげでそういう人をたすけてあげんならん」
明治から大正、昭和の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。それが、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。
しかしこうした人びとの存在によって村がおくればせながらもようやく世の動きについて行けたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこのような世間師の姿はもうすこし掘り起こされてもよいように思う。
「古い農民生活は古い時代にあっては、それが一番合理的であり、その時にはそのように生きる以外に方法がなかったのだる。それだけにその生き方を丹念に見ていくことは大切であるが、時代があたらしくなれば新しい生き方にきりかえてもいかねばならぬ。しかしそれは十分計画もたて試してみなければならぬ。それは村の中の目のさめた者の任務である。」
結局のところデヴィッドストンの小説を表現するには、高尚にして低俗、前衛的にして大衆的、ペダンティックでありながら人情味にあふれ、博覧強記でありながら平気な顔で嘘をつく、といったぐあいに相矛盾する形容を重ねあわせていくほかない。ひと言で形容しろといわれたら、わたしなら「変な小説」と答える。
編者解説より
幸田露伴の短編「魔法修行者」は、日本の魔法の歴史やら、飯綱の法、荼吉尼の法に通じていたらしい細川政元や九条植通について書かれていて、非常に面白いです。特に九条植通については、魔法関係なく、織田信長や豊臣秀吉をものともしない態度に感心させられますし、魔法関係なく、源氏物語の愛読ぶりやら唐松の苗のエピソードやらも面白いです。魔法。
魔法とは、まあ何という笑わらわしい言葉であろう。
しかし如何なる国の何時の代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかも知れない。
「魔法修行者」 幸田露伴