一定期間更新がないため広告を表示しています
京都には「キエフ」という、加藤登紀子さんのお父様が創業されたロシア料理のお店があります。創業は、1971年、この年、京都とキエフは姉妹都市になったそうで、そのことが店名の由来になっているのだとか。
今年、2011年は、つまり姉妹都市40周年!京都にいるけど、知らなかったです…。
そんな京都人にとって親しみがあるようで、私自身は全然ないウクライナ、最近ちょこっと気になっているので、現代活躍中の作家達によるアンソロジーがあるというので読んでみました。
暗い……。
何百年ものあいだ独立の国家を持つことができず、政治的にも社会的にも文化的にも地球上で占めるべき己の地位と役割を見出せなかったという鬱屈した思いがウクライナの人びとの意識の底に沈んでいて、明るい作品にも滑稽な作品にも通奏低音のようにかすかに響いて消えることがないのは否定しようのない事実である。
とはいえ、とても印象的で唸らされる作品ぞろいでした。もっと他の作品を読んでみたい方がたくさんいらっしゃったので、ウクライナ文学の邦訳がいろいろ出版されればいいのに…です。
面白かった作品をいくつかご紹介。
60年生まれの女性作家、エウヘーニヤ・コノネンコによる「新しいストッキング」、義母の手術代代わりに、母親第一の夫と義母から外科医の希望通り彼の家へ行くように言われた美しい女性の話です。折れそうな心を奮い立たせて、外科医のところへ向かった彼女を待ち受けていた、意外なこと。唸ります、これ。
57年生まれの女性作家、ワレンティーナ・マステロワーの「しぼりたての牛乳」、おそらく母親が夫以外の男性と関係した結果生まれたのであろう女の子の話です。かなりあからさまに家族から阻害されているのですが、当人は自分の出生を知らず、1年に一度家へ帰って来る血のつながらない父親をけなげに愛しているお話です。ものすごく酷い話が、女の子の一人称で淡々と語られています。
59年生まれワシーリ・ハーボルの「未亡人」、美しい未亡人のところへ忍んで行った村長が、そこで自分の息子とはちあわせ……女性が男性を背負うっていうのって、山姥くらいしか思いつかなかったのですが、未亡人スゴいです。
47年生まれカテリーナ・モートリチの「天空の神秘の彼方に」、神秘というより、「座頭殺し」的なぞっとさせられる転生譚なのですが、非常に宗教的にまとめられています。この小説では、スターリンの政策のせいで、人為的な飢饉におちいった1930年代のことが書かれています。非常にショッキングな場面もありますが、当時のウクライナは、そんなことがフィクションでなかったような凄惨な状況だったようです。
52年生まれユーリイ・ヴィンニチュークの「ミシコとユルコ」、たわいもない思い出話のぞっとさせられる結末に驚きました。
52年生まれワシーリ・ボルチャクの「脱出」、浮浪者である主人公の属するグループが、リーダーに率いられ、街中から校外へ、もっといい場所を求めて移動する話ですが、訳者の解説では「出エジプト記」が重ねられているそうです。
48年生まれボフダン・ジョルダクの「田舎っぺ」、キエフ大学の魅力的なフランス語の教師に恋するも、冷ややかな扱いしかされないうえ、友人である先輩とできていることを知った若者が、成績不審で奨学金を打ち切られたため、夏休みの間にバスの検札係として働き始めます。バスにこのフランス語教師が乗ってきた際、彼は彼女の回数券の不正をあばき、復讐さながら彼女に恥をかかせるのですが…、とっても手痛い一言を食らいます。
77年生まれヴォロディーミル・ヤンチュークの「15分間の憩いのとき」の冷淡さや、76年生まれのスヴィトラーナ・ピールカロの潔癖症な男女の出会いを互いのモノローグだけで記した「彼と彼女の話」など、70年代生まれの作家の作品は、さすがに現代的な感じがしました。
何処に行っても人生は、忍ばねばならぬことのみ多く、楽しみはすくないものなのです。
サミュエル・ジョンソンといえば辞書を作った人、英国詩人たちのの伝記を書いた人、くらいの知識しかなかったので、小説を書かれていたなんて驚きです。それもそのはずで、これが唯一の小説なのだとか。
この文庫の解説によると、この小説、1759年1月に身罷った母親の葬儀費用の支払いと残された債務の返済のために、急ぎ書かれたものなのだそうです。『サミュエル・ヂョンスン伝』には、「ヂョンスンがサー・ヂョシュア・レノルヅに話したところによると、彼はそれを、夜だけ一週間で書き上げ、書けただけづづ印刷所に送り、其後一回も読み返したことがないのださうである」と、書かれています。
その後に続く、ボズウェルのこの書に対する賛辞が色々すごいので、引用しちゃいます。
この作品が含蓄してゐる思想の包蔵量は大なるものであつて、殆どその中の一文章毎に長い瞑想の主題が提供されてゐる程である。私は一年間この本を一回も読み返さずに過ごすことがあると、何んとなく物足りなく感ずるのである。そして通読するたび毎に、それを作りだした人の精神に対する感嘆の念を高め、さういふ人と自分が親しく交際する名誉を得てゐることが、殆ど信じられぬほどなのである。
『サミュエル・ヂョンスン伝』 ボズウェル著 岩波文庫
作者は一回も読み返してないって言うのに!
ジョンソンに対して、「最高の尊敬」、「一種神秘な崇拝の念」を抱いていたボズウェルならではです。
さて、この物語の内容はといいますと、アビシニアの第四王子であるラセラスという若者の幸せ探しの物語です。彼は、他の王子王女らと共に広大な渓谷にある閉ざされた楽園、外の世界へ出ること以外は何の不自由も苦労もない、ありとあらゆる楽しみが供され、日々豪奢な宴が繰り返される「幸いの谷」に暮らしていたのですが、いつしかその暮らしに満足できないようになりました。
「不足がないということが、或いは何が不足なのかわからないということが、私の嘆きなのだ。これとわかる不足があれば、そこから望みも生じよう。望みがあれば努力への刺激となり、そうすれば太陽が西の山に傾くのが遅いと言ってかこつことも、また夜が明けて目を覚ました時に、ああまた自分の心と対決せねばならなぬと言って悲しむこともなくなるだろう。<略>私は既にあまり多くを享楽しすぎた。何か欲望の的となるものが欲しいのだ。」
かくして王子はこの閉ざされた幸いの谷から抜け出し、外の世界で見聞を広げ、自分自身の生き方を選択したいと望むようになります。そして、王子同様この谷からの脱出を望む詩人の協力によって、二人の計画を知り同行を望む妹姫ネカヤアと、その侍女とともにこっそり外の世界へ旅立ちました。
方々への旅を通して、さまざまな人々と交わり、一見幸福そうに見える暮らしや思想を知りますが、そのどれもが不完全であり不満や不幸を伴っていることをも同時に理解してゆきます。
そうして、知見を広め、経験をつんだ結果、最後には……もう、殆どの人が予想するとおりです。
『ラセラス』に感服する念が深いにも拘らず、私は、多分ヂョンスンの体質に於ける「病的な憂鬱」が彼に人生を普通以上に味気なく不幸なものに見えしめたのではないか、といふことを否定はすまい。何となれば、確かに彼は、そこから私ほど享楽を得てゐないからである。さりながら、彼特有の感性が、彼の人生の表現にどれほどか余分の陰影を投じたとしても、塾々観察し、よくよく吟味して見ると、その陰鬱な表現には真実性がありあまるほど有る、と私も思はざるを得ない。但し、本当を言へば、われわれは人生の幸不幸を、われわれの変わり易い心の状態につれて、その時々に違つて判断するものである。
そして純粋の善意から、この書物を読んでくださるすべての諸君の心に、かういふことを印銘したいのである。即ち、現在の生存は不完全な境遇であり、一層善い生存へ―――若しわれわれが不断の向上といふ、神の計画に服従するならば―――の過渡時代に過ぎないといふこと、又知性を具へた者は「悩みを通じて完成され」なければならぬ、といふのが摂理の神秘な計らひの一部であるとの確信が得られない限りは、失望と不安が何時までも繰り返される、といふことである。然しながら、若しわれわれが神の啓示の「白日の光」の中を希望を以て歩むならば、われわれの気分と心境は、不如意と苦痛とを耐へ忍ぶと共に、道すがらの慰藉と享楽を味ひ得るやうなものになり得るであろう。多くの思索とさまざまの論究のはてに私は、「結局この世の中は悪くない所だ」といふヴォルテールの結論の真理であることを納得するものである。が、われわれはあまりに深く考へ込んではいけない。
「無知が祝福なる所にて、賢くあるは愚かなり。」
とは、多くの点に於いて、詩的な意味には止まらず、正しい。吾々は善い主義の命ずる所に服して、「快活な性情の理論」を修養しようではないか。そして、バーク氏が曽て或る沈鬱で苦労性な紳士に適切に忠言したやうに「愉快に生きたまへ。」
『サミュエル・ヂョンスン伝』
お話をするとなれば、まずは葦毛のお馬の話、それから栗毛のお馬に、智恵のある魔法のお馬の話とつづくのがきまりだ。後ろに戻るんじゃあなくて、前に進むんだぞ、セリワンおじさんが羊皮長外套(トゥループ)を着ておった、なんて話とは違う。このお話はわたしが考え出したのじゃあない、古い靭皮から編み出したものでもなけりゃ、新しい絹地から縫い上げたのでもない。夏の日々に、秋の夜な夜なに、足長で鉄鼻の不思議な鳥(サーフカ・ジュラーフカ)がわたしに語り聞かせてくれたお話なのさ。
不思議な鳥(サーフカ・ジュラーフカ)が庭の中を歩き回っておいでだ。黒い目をきょろきょろ、一歩ごとに立ち止まって、長いお首を編垣から突き出しちゃ、とんがり鼻で友も仇もみさかいなしに悩ませる。翼をばたつかせ、コーウコーウと啼くものだから、だれもが耳をピンとそばだて警戒のかまえ、口からはよだれまで垂れだすしまつ……不思議な鳥(サーフカ・ジュラーフカ)は声張り上げて歌いだし、智恵に有る話を語りだす。それはな、ほれ、こんな話なのさ……コーウコーウ!
今期のアニメ、『夏目友人帳』を観ています。思っていたよりも、ずっといい内容(ウホッって意味じゃないですよ!)だったので、1期2期を見逃していたことが残念です。
アニメでは日本の妖怪に親しみつつ、本のほうではロシアの妖怪に親しんでみました。
ロシアといっても小ロシア、ウクライナの作家による妖怪譚です。
ウクライナは、「ロシア国家の発祥の地として民族の万古の記憶をとどめる故地」なのだそうで、ロシアの妖怪の故郷なのです。作者、オレスト・ソモフは、「ロシア妖怪物語の原点に位置する作家として高く評価されている」そうです。
美しい女の姿で、男を破滅させる不気味な悪霊ルサールカ、、人家に住み着く妖怪キキモラなど、初めて名前を聞くなじみない妖怪が登場します。サバトへでかける魔女達や、狼に変身する妖術使い、蘇る死者なども。
大抵の話が不気味な上に、とっても嫌〜なバッドエンドです。
民間信仰とキリスト教の関係や、ポーランドに対する確執など、歴史的な問題も盛り込まれていたので、ウクライナのこともっと知りたくなりました。
もちろん妖怪や魔女達のことも。
JUGEMテーマ:読書「アルキメデスは、有名な物理学者で数学者だ。」と、クサンチップス先生はみんなに教えた。「かれは、『わたしにてこの支点が与えられれば、世界をひっくり返してみせる。』という金言をのべた。われわれには象徴的に言って、そういうてこの支点が必要なのだ。ムキウス、きみたちがこれまでルーフスの件で見聞きしたことを、もう一度くわしく話してみたまえ。なに一つわすれないように気をつけてな。くだらないようにみえることでも、じつはたいへん重要で、われわれの手がかりになるようなことがあるものなのだ。」
古代ローマが舞台の児童書です。古代ローマの男の子達がいったいどんな暮らしをしていたのかって、全く想像もつきませんが、友だちと喧嘩したり、先生に怒られたりというのは、いつの時代も変わらないのかもしれません
ローマで一番授業料の高いクサントス文法学校に通う少年達のお話です。そんなわけですから、みんな父親が元老議員や裁判官、将軍といった、それなりのお坊ちゃんぞろいです。
ある日、授業中に悪ふざけで「カイウスはばかだ」と書字板に書いて掲げたことで、カイウスという少年とルーフスという少年が喧嘩になります。それがもとで、落書きをした少年ルーフスは、先生から退学をほのめかされるほど怒られたのですが、事はそれだけではおさまりませんでした。
次の日、あろうことか、神殿の壁に真っ赤な絵の具で「カイウスはばかだ」と落書きがされていたのです。クサントスの生徒達は、ルーフスの仕業ではないかと驚いたのですが、ルーフスは、強く否定します。しかし、著名な鑑定家によって、その筆跡がルーフスのものに間違いないと断定されてしまい、ルーフスは神殿の冒瀆罪で逮捕され、牢屋へ入れられてしまいます。しかも、ひょっとしたら死刑の判決を受けるかもしれないことになってしまいました。
友人を信じる少年達は、なんとかルーフスの無実を証明しようと、色々調べはじめます。ケンカしていたカイウスも途中から仲間に加わり、普段は怖いクサンチップ先生の多大な協力もあって、結果、思いがけない恐ろしい陰謀を暴くことになります……。
ルーフスの筆跡そのままの落書きのなぞはもとより、クサンチップス先生を襲った奇妙な強盗のことや、なぜか濡れていたルーフスの服など、物語中のさまざまななぞに頭をひねらされ、少年達が巻き込まれる危険にハラハラさせられる面白い内容でした。最後の最後、クサンチップス先生の台詞もいいです。
紙背に微光ありだなんて、またなんとも麗しいタイトルにうっとりですが、私にとってこの本、微光どころか燦然と光り輝いております。まぶしさに目を細めつつ、大変大変面白く読ませていただきました。これまでの鶴ヶ谷氏の著作同様、興味深い話がてんこ盛りです。
西晋の賢人、楽広という人物には、杯の中に蛇がいるように見えた酒を飲んでしまって体調を崩した友人に、それが錯覚であることを理解させて元気にさせたという逸話があるそうですが、その逸話の元ネタについての話や、琴の音にまつわるさまざまな話の中の蔡邕、蔡琰父娘に関する話、さまざまな古文書贋作者、西村兼文、ドーデの小説のモデルとなったフランスのヴラン・リュカ、シェイクスピアの贋作を作成したイギリスのウィリアム=ヘンリー・アイアランド、さらにはアイアランドが着想を得たトマス・チャタトンについての話、複数の架空の詩人を生み出したフェルナンド・ペソアのこと、俳句を西欧に紹介した人々の話、めずらしい白虹の話、作家達の愛用した原稿用紙の話、現実を夢と思い込む、逆に夢が現実となる説話についての話等等々……。
特に印象深かったのは、「さよなら」という日本語についての話。「これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない」と書いたアン・モロー・リンドバーグから語り始めて、話は、日本を開国させようという強い意志で、1848年に単身日本へ渡ったアメリカ人、ラナルド・マクドナルドのことに移ります。ペルー来航に4年先立って、国家も何も関係なく、全くの個人的な思い(善意?)で、日本海へ行く捕鯨船から単身ボートで北海道へ上陸した人物です。捕らえられてのち長崎にて日本の通詞に英語を指導したり、英和辞書の編纂に関わったりしたそうです。開国が個人の力ではどうにもならないと悟り、帰国を考えた際、ちょうど長崎にアメリカの船がやってきました。長崎奉行から、この船の船長である中佐はどのような位の人物か尋ねられた際の返答がイイです。
「わが合衆国でいちばん偉いのはピープル(人民)!」このはなはだ意外な一語に、並み居る奉行所役人はみな唖然としたという。さらにつづけた、「よろしいですか、その次が大統領。そして海軍の方でいうとその次が海軍長官、そして提督、それから現職の大佐。それから中佐―――グリン氏はその中佐である」。
でも、イイのはそれだけではありません。このマクドナルド氏の臨終の際の言葉は、
Sionara, my dear, Sionara.
なのです。
ところでこの書中、ちょこっとラフカディオ・ハーンが登場しています。俳句についての書き残した異国人の一人として、また、ジッドの小説『法王庁の抜け穴』の主人公につけられた名前ラフカディオの拝借元として。繋がりというほどのものでもないですが、前に読んだ本と少しでも関わりがあると、ちょっとうれしくなります。
そもそも雪女という話は、日本古来の物語なのだろうか?
白馬岳の雪女伝説は、まちがいなく、ハーンの「雪女」に由来し、白馬岳の地名がなくても、ハーンによく似た内容をもつ、雪女の口碑伝説は、その大部分が、ハーンから出たものであろうと、ほぼ確実に立証できたのである。ただ、その経路は、今回、明らかになった白馬岳系の伝承についていえば、その大本は、中学生らの無邪気な夜話ではなくて、一人のジャーナリストの剽窃、捏造といってもいいような詐欺的行為だった。わたしを含めて、ハーンの研究者の多くは、このつまらない悪戯の、意想外に大きな余波にだまされていたのである。わたしたちは、民間伝承の記録における、採話者の誠意をすこし信じすぎていた。
しかし、この調査の目的は、そんな小さな悪戯の告発ではない。この「雪女」の口碑伝説化のプロセスをたどる考証の結果、明らかになるのは、伝説・昔話の伝承における、「文字」の力の圧倒的な強さと支配力である。そしてそれとは逆に、浮き彫りにされるのが、「口承」文化や文芸に対する、わたしたちのあまりにも甘い期待とロマンティシズムであり……
近来童話ニ関スル著作続々刊行セラレ、如何ナル寒村僻地ニモ殆ド行キワタレル姿ナルヲ以テ……地方在来ノモノ殆ドソノ影サエ止メザルニ至レリ
“武蔵の国西多摩郡調布の百姓が語った伝説”として書かれているハーンの「雪女」、この物語の元となった伝説が本当にあったのかどうかは、ハーン研究者の間では、意見がわかれているのだそうです。
この書では、上の引用の通り、この物語がハーンの創作であること、それが逆に日本古来の伝説であるかのように広まっていった過程が明らかにされています。
1930年に出版された、日本アルプス明峰にまつわる伝説117話を収めた青木純二の『山の伝説 日本アルプス篇』、この中にある雪女伝説が、ハーンと同一の話型をもつ白馬岳の雪女伝説の記録としては一番古いものだそうですが、口碑の記録であるはずのこの物語、実はどうやらハーンの「雪女」の翻案のようなのです。そして、固有名詞の表記や独特な訳文の一致などから、元になったのは、1910年に出版された高濱長江訳の『怪談』の最初の翻訳本であることが明かされます。かなりあからさまな剽窃であるにもかかわらず、ここから“ハーンの「雪女」の原話は白馬岳系の伝説である”という説が生まれてきたようです。
この白馬岳の雪女は、その後大説話集『大語園』の中に取り込まれます。その際、翻訳調で冗長だった物語が、もっとすっきりとしたいかにも口碑伝説のような形で掲載されました。1941年には、村沢武夫による『信濃の伝説』という本が出版されます。この中に北安曇の伝説として「雪女郎の正体」という話が掲載されているのですが、これも内容から察するに青木純二の『山の伝説』を簡略にしたもののようです。この村沢の「雪女郎の正体」は、1950年代に松谷みよ子の筆によって、おそらくハーンの雪女を参考に内容を補われた形で、安曇野の伝承「雪女」『信濃の民話』の中に取り入れられました。
わたしが昔話として親しんでいる「雪女」といえば、たぶんこの松谷「雪女」です。
その後、70年代になって、いよいよ本当に口碑として雪女が登場し始めます。さまざまに土俗化した雪女物語が非常に興味深いです。
昔話の語り部として名高い鈴木サツさんもまた、「雪女」の物語を語っているのですが、この物語は、公の場で「昔話かたるようになってから人から教えられた話」だと当人がおっしゃっているそうです。しかし、ここでこの物語が、失われた遠野綾織村の方言によって語られることで、「遠野の農民世界を色濃く反映させた物語」、「遠野の昔話」と化しました。
結局、これで青木から松谷まで、白馬岳の雪女伝説で、フィールドで採話されたものはひとつもなく、文献だけで一直線につながってしまったのである。」「白馬系の雪女伝説を伝承させてきたのは、民話を「聞こう」という情熱ではなくて、民話を「書こう」という欲望だった。
さて、ではなぜ、創作の物語にわざわざハーンは、これは“武蔵の国西多摩郡調布の百姓が語った伝説”であるというような前口上をつけたのでしょうか。そこももちろん、この書では考察されています。
日本人に親しまれてきた異類婚姻譚の形式を有していることが、「雪女」の物語が愛され、口碑化していった一つの理由のようでうすが、しかし、ハーンの雪女は、日本の異類婚姻譚とは異なり、雪女と巳ノ吉という夫婦の関係に主眼が置かれず、雪女の母性が強調された物語となっています(日本で民話化されてゆく過程で、この母性の強調は薄められてゆき、また、ハーン作品には欠如していた「父性」も、民話化の過程で加えられていったそうです。その結果、「外」からきた異類の女を「外」に放逐することで、「内」である「男・文化・秩序」が勝利する伝統的な異類婚姻譚へと変貌しました)。
そして、夫巳ノ吉には、雪女を見上げ、雪女に見下ろされる「子ども」の位置が与えられているため、この物語は、母と子の禁忌的なラブロマンスとして読むことができるようです。
若く美しい「母」への禁忌的な愛を、物語の中に封じ込めてしまうこと、子供を捨てる母親の悲しみと愛情を、その身勝手な冷酷さとともに、神話として語りなおすこと、それが「雪女」という言いようのない悲しみと美しさを湛えた物語の正体でなはいかと思う。
この物語では、ハーン自身の「胸底に秘めていたはずの欲望と傷跡が、驚くほど素直に、無防備に、語られてしまっている」のです。
この物語が、「日本の雪女というささやかな伝承や断片的な信仰を素材に、心の内奥の声に耳を傾けて、一切の規範やモラルから開放され、自由に語られたもの」だからこそ、わざわざ武蔵の国西多摩郡調布の百姓が語った伝説”としたのではないかと、ここでは考えられています。
そして、この書の2部では、「現実的の母親によっては満たされなかった母性的な愛への渇望」が作品に投影されていることが、夏目漱石についても「夢十夜」の一話とハーンの「お貞の話」の考察を通して語られています。
また、3部では、「破られた約束」「お貞の話」「和解」「死骸にまたがった男」を通して、ハーンが「ほとんど無意識のうちに前菜の子供の位置から、母親の再生を願い、父との和解あるいは再開の物語を構想してしまうこと」、父と母の諍いにおける仲裁者として物語を紡いでいることが考察されています。
雪女の起源について考察された書と思って手にしたのですが、むしろ、その深遠にある女性像、ハーンのマザコンっぷりについての書でした。