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1998年1月、ニューヨークで開催されているクリスティーズのオークションに19世紀に描かれたドイツ流派の作品として出品された無名の絵が、ある画商によっておよそ2万ドルで落札された。その後、ピーター・シルヴァーマンというコレクターによって購入され、後にこの絵は、15世紀ルネンサンス期に描かれたイタリアの無名画家の作品と訂正された。
そして2007年、この絵の存在を知った美術評論家ニコラス・ターナーは、この絵のクオリティーの高さと、左手で広範囲にわたってほどこされているハッチング(線影)に衝撃を受ける。15世紀にイタリアで活躍した画家の中で、左利きで、「これほどすきのない美しい造形が可能な人物」と言えば、レオナルド・ダヴィンチしか思いつかなかったからだ。
とんでもない可能性を秘めたこの絵について、2008年から本格的な調査が始まった。多くの専門家による精査、科学的な調査を経て出された結論は、ニコラス・ターナーが直感したとおり、ダ・ヴィンチの手による作品だということだった。
この本には、そんな世紀の大発見へといたる検証の経緯がまとめられています。最先端の撮影技術による詳細な調査によって明かされた、描画材やテクニック、描き直しの形跡や傷、後年施された修復部分などが詳しく説明されています。また、絵画に残された指紋の発見と、「聖ヒエロニムス」に残されていた指紋との照合だとか、描かれた時期やモデルについての推理など、興味深い話題が盛沢山です。
モデルについては、ルドヴィーゴ・スフォルツァの娘ビアンカではないかとされています。13,4歳で嫁ぐも、程なく亡くなってしまった彼女の婚礼祝いか、あるいは追悼のために製作された書物に綴じられていたものではないかとのことです。
この絵は、仔牛皮紙にチョークで彩色されたものですが、ダヴィンチの代表作の中には、仔牛皮紙を使用したものはないのだとか。しかし、フランス人画家ジャン・ペレアルに色チョークでの彩色についてや皮紙の制作方法を問い合わせた記録が手記に残されており、なめし革を用いた彩色画には興味を持っていたようです。
モナリザですら、ダ・ヴィンチが描いたという決定的な証拠がないくらいですから、驚くほど詳細な分析にもかかわらず、決定的な証拠というものは出てきていません。しかし、調査によって得られたさまざまな情報を積み重ねてゆくことで、ダ・ヴィンチの真作という結論に導かれてゆきます。
隠れた名品が日の目を見ると言うことも素晴らしいですが、新たな作品の発見は、ダ・ヴィンチの研究にとって大きな手がかりとなるということもまた、喜ばしい話です。
ふんだんに挿入された図版がとても美しく、日本で公開される可能性もあるようですので、その際には大行列覚悟で是非観に行ってみたいものです。あ〜でも、東京だけとかなのかしら。
『美しき姫君』は、ダ・ヴィンチの作品群に新たな視点を付け加える作品となるだろう。既知の作品にはない道具を用いたというだけでなく、フランス人芸術家ジャン・ペアレルに接触を図った理由を説明してくれるからだ。さらにダ・ヴィンチの、書物に対する旺盛な探求欲、技術と美意識をともに高めんとする姿勢を浮き彫りにしてくれるからだ。この作品は、ミラノ宮廷におけるダ・ヴィンチの役割、とりわけスフォルツァ家の“貴婦人”たち―――血族であれ愛妾であれ―――に対するダ・ヴィンチの表現を如実に伝えてくれる。そして何よりも、比類なき美がここにはある。
あるいなかの道ばたで、子どもおおぶった百姓の女が、着物のすそお、さっと、まくって、ゆーゆーと小便おしているのお見た。ズロースおはいていてわ、こんなあざやかなげいとーわできない。それわまだ中年の女だった。
タカクラ・テル『ニッポンの女』
うわぁぁぁ、これは存じ上げておりませんでした。大変失礼いたしましたですよ。今の今まで、私の中で中務氏といえば、ギリシャ奇譚の方というか、ギリシャの古典から日本はもとより、中国・ペルシャ・インドの説話まで広汎な物語の中から興味深い共通点をポンポンと取り出してその成り立ちを考察し、その不思議さ面白さで読者を釘付けにしてくださる方だったのですが、もう今日からは違います。中務氏といえば、女性の立小便!女性の立小便といえば中務氏!
ってこの本のわずか一文だけの話を取り上げてそんなこと言うのも失礼ですが。
付記の中で、『賢愚経』の中の「無悩指鬘品」という章に見える説話、初夜権を行使する波羅奈国の王に反抗できない男たちを見てある女性が、衆人環視の前で立ち小便をしたところ、立小便をするのは男だけだと咎められ、「あんたたちが男ですって」とやりかえしたという話が紹介されています。
ここでは立小便は男だけのものと言われていますが、女性の立小便って、意外なことにそうめずらしいものでもないようです。現代だと洋式の公衆トイレで中腰で用を足す女性が結構いらっしゃる(http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0204/292610.htm)ようですし。
書中紹介されている西洋の絵画に見られる、立小便の図の数にも驚きましたが、日本においては、少し昔であれば、ごくごく普通に女性の立小便姿が見られたとの事も、驚きでした。
日本の文献における最古の女性立小便の記録については、南方熊楠氏が紹介している源俊頼の『散木奇歌集』や著者の見つけた『今昔物語集』の一話が決め手はないとしながら紹介されておりますが、世界最古に物については、ヘロドトスの『歴史』の中の「エジプト誌」だと断定されています。
エジプト人の風習が、万事他民族と正反対であることを書きつらねた文中に、「エジプト人は女は立って男はしゃがんで小便する」という一節があるとのこと。しかしながら、あべこべぶりを強調する中での誇張の可能性もいなめないため、この記事を擁護するために女性立小便の類例を集めた結果がこの一文なのだそうです。
結果はもう、あるわ、あるわ・・・・。
女性が立って小便をする理由について、「人間は可能なことは行うものだということを思えば、女性としては立っても小便ができるからしているだけなのかもしれない」ともしながら、そこに何かないものかとも気にしていらっしゃいます。
上州信州で、しゃがんで小便すると縁遠くなるという迷信があったなどというのは興味深い話です。
念のために言っておきますと、この本、女性の立ち小便については、わずかな一文が掲載されているだけで、あとはいつもの興味深い古代説話のお話やら、古代ギリシャの教育や文学について記されています。
当の敵以外のものに怒りの矛先が向けられ復讐が果たされる話の系譜だとか、灯された明かりを目印に海を渡って男や女の元に通う話の類話についてや、不自由しているものが恰も大量にあるかのように敵に見せかける話の数々だとか、さまざまな説話で取り上げられている難題、蟻通しの話の起源についての考察だとか、自身を破滅させる内容の手紙を運ばされる話についての考察など興味がつきいない内容です。女性の立小便に興味がない方でも、十二分に面白いかと思われます。
金原氏による英米怪奇小説のアンソロジー。岩波少年文庫の一冊ですから、お若い方々を対象として編まれているのでしょうが、大人だって十二分に楽しめる充実した恐怖がつまっています。扱われる恐怖も多様で、ジワジワくる恐怖から、はっとと驚かされるもの、恐怖以上に胸をつかれるものまで揃っています。優良な作品ぞろいなだけに、既刊のアンソロジーに収録されたことのある作品がいっぱいなのだそうですが、私は未読がいっぱいなのでノープロブレム。しかも全作金原氏による新訳(しかもエドガーアラン・ポーの作品にいたっては翻案までされてしまっています)というのも魅力的。
はっと驚く系の話では、既読でオチも覚えていましたが、サキの「開け放たれた窓」が大好きです。初めて読んだときは悔しくて仕方なかったですが、今やこのうまさに感嘆するばかりです。でも、その鮮やかなオチゆえに怖い話ではありません。かたや、フレドリック・ブラウンの「うしろから声が」は、はっとさせられるお話であって、しかもとっても怖いです。はっとさせられうろたえているうちに、バッサリと恐ろしいところで幕が引かれて呆然というか、ガクブルです。
このアンソロジーの中での一番怖い話は、「ポドロ島」ではないでしょうか。「あれ」って何なのか、「あれ」って実在したのか、解釈は色々なのでしょうが、どう解釈しても怖くって仕方がないです。
とても短いお話ですが、ロアルド・ダールの「お願い」も大好きです。カーペットの模様を危険に見立てて子どもが遊んでいるだけのお話であるにもかかわらず、それが非常に恐ろしい内容になっております。是非とも短編集を読んでみたいです。
レノックス・ロビンソンの「顔」は、崖下の水面に現れる美しい顔に心奪われた男の物語、昔話的な切なさと怖さを併せ持つ儚く美しいお話で、これも好きです。
ロード・ダンセイニの「谷間の幽霊」は、編者が怖くないと言い切っているとおりのお話ですが、「かつてはいたのだ」という幽霊のかすかなため息、ダンセイニ節がうれしいではないですか。
他には、エドガー・アラン・ポーの作品の翻案「こまっちゃった」、耐え難い夏の夏さのなかで読むべき表題作、W.H.ハ−ヴィーの「八月の暑さの中で」、リチャード・ミドルトンのなんとも不思議な話「ブライトンへいく途中で」、幽霊よりも怖いものを見ちゃった話、E.M.デラフィールドの「もどってきたソフィー・メイソン」、そのデパートにはないはずの13階で買い物をした男の話、フランク・グルーバーの「13階」、お約束的なゾッとするオチのついたというか、タイトルそのまんまなジェイムズ・レイヴァーの「だれかが呼んだ」、そして私としては「ポドロ島」の次に怖かったローズマリー・ティンパリの「ハリー」。切ない話としても読めるのでしょうが、奪われる側の視点で書かれているので、私はただひたすら怖かったです。
時節にあったこのような気の利いた新刊が出るあたり、岩波少年文庫素晴らしいです。