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「友情を生むのは友情です。人は、この人に自分は愛されている、と感じる相手を愛します。だからもし、自分からほかの人たちの友だちになれば、その人たちは自分の友だちになってくれるだろう、と思います。不幸な人を貧しさから救うのは、たいしたことです。でも、その人たちの悲しみをいっしょに悲しむことによってやわらげるのは、それ以上にたいしたことでしょう。 」
京都では、色々なところで手作り市が開かれているようなのですが、知人が出店しているというので、先日初めて知恩寺の手作り市を見に行ってきました。想像をはるかに超える人込みと店舗数に驚きましたが、それ以上に出品されている品々の多彩さにビックリです。お菓子やパンはもとより、飲物、漬物、燻製、干物、布製品、革製品、木工品、絵画、彫刻などなど、はては占いにマッサージまで多種多彩。あまりの面白さに財布の紐がゆるみっぱなしで、大変でした。仕舞には、ちょっと次は出店してみたいかも〜などと安易な考えに取りつかれてしまったほど。出店するんだったら、お店の名前を考えなくちゃね〜と、何を売るのかということはさておいて、店名だけ決めてみました。
「Palikare(パリカール)」。
ラパン・アジルっぽい動物がらみの名前がいいんじゃないか、動物だったらロバにしようと思ったまではよかったのですが、なんとかドンキーではかなり冴えない。ならばフランス語で、「le petit ane」とかどう?とか思いましたが、ゴロがイマイチ……。そこで、ハッと思い出したのが、ロバってギリシャ語でパリカールではなかったかということ。昔々、「ペリーヌ物語」というアニメに出てきたギリシャのロバの名前がパリカールだったのです。
エクトール・マロの名作「家なき娘」を原作とするこのアニメ、ペリーヌとインド人の母親が、ペリーヌの父親が亡くなったために、その実家のあるフランスの地を目指して、写真撮影を生業としながら旅を続けてゆくのです。ロバ、パリカールのひく馬車にのっての長旅。はじめはうまくいかなかった商売も、インドのサリーに身を包んだ母親による撮影が評判となって、なんだかいい感じで楽しく続いてゆく…というのが、朧気な記憶。子供のころ、2段ベッドを馬車に見立てて、旅の行商ごっこ(?)をしてよく遊びました。商売の内容は都度変わりましたが、この空想上のお店を引っ張っていたのはいつでもロバのパリカールだったのです。何を売るのかも定かでないような妄想上のお店の名前として、これほどふさわしいものもないではないですか。
それはともかくとして、前半の馬車旅と最後のハッピーエンドくらいしか記憶にないペリーヌ物語の全貌を知りたくなって、「家なき娘」を読んでみました。古めかしい岩波文庫の雰囲気もよかったのですが(鹽爺とか読めないし…)、偕成社文庫のほうは訳注も親切な上、フラマリオン社版の挿絵まで掲載されていてうれしい限り。
読中、色々驚いたのですが、何がビックリって、母親との楽しい馬車旅のシーンなんてないってことです。弱りきった病身の母親と11、2歳の少女ペリーヌが、やっとの思いでパリまでたどり着いたところから物語は始まるのです。しかも、母親の治療のためと、父親の実家のあるマロクールへ向かう準備をするために、馬車はもとより、これまでの商売道具だっ写真機、さらにはここまで旅をともにしたロバのパリカールまで、早々に売り払われてしまうのです。ええ〜!?パリカールの出番少なっ!!(でも、ちゃんとブドウ酒好きとかいうエピソードはありました)
あと、訳注見て驚いたのは、パリカールって、「元気な勇ましい男」という意味のギリシャ語なのだそう。ロバじゃない……。
さて、予定よりかなり低い金額ではあったものの、パリカールはうまく人のよさそうなくず屋の女性に買われましたが、満足な治療は受けられぬまま母親の病状はよくならず、亡くなってしまいます。わずかなお金と身一つで、ペリーヌはパリで知り合った心やさしい人々に別れを告げて、一人旅立ちますが、ここからの旅は本当に厳しいものでした。途中衰弱死しそうになったところを、なんと売り払ったパリカールに助けられたりします。現在の飼い主であるくず屋の女性の好意で、その後は順調に旅を続け、ついにマロクールへたどり着きます。
ペリーヌの父親の父親、つまり祖父は、ヴュルフラン・パンタヴォワーヌという、この地で巨大な紡績工場や関連会社を営む裕福な企業家でした。ペリーヌはここへ孫娘として引き取ってもらうためにやってきたのですが、すぐに名乗りをあげることはせず、偽名で女工として祖父の工場で働きはじめます。なぜなら、ペリーヌの父親は、麻の買い付けに行ったインドで知り合ったインド人の女性と、父親の反対を押し切って結婚してしまったことで、勘当されてしまっており、息子を誤らせた人物として、ペリーヌの母親はヴュルフラン氏から強く憎まれていたからです。
パリで死を前にした母親はペリーヌにこう言っていたのでした。
「おまえにはなにも要求する権利はないの。得るものは、自分で、自分ひとりの力で、手に入れるのです。よい子であることで、人に愛されるようにすることで……愛されること……おまえにとって、すべてはそこにある」
母親の言葉通り、その後ペリーヌは自分の正体を隠したまま、その善良さ聡明さによってヴュルフラン氏の信頼と愛情を獲得してゆきます。
マロクールで女工として働きながら、林の中の小島の鳥撃小屋で一人暮らしをしている部分が、この物語の中ではひときわ印象深く楽しいところです。食べるのにも事欠くような貧しさの中で、辛抱強く知恵と工夫を凝らして、さまざまな生活道具や身に付けるものを自分の手で作り出し、暮らしを整えてゆくのです。「自分に必要なものを自分でつくりだす」、ペリーヌにはそんな優れた能力がありましたが、それ以上に「他人に必要なものをつくりだす」ことにも長けていました。ペリーヌの影響によって、ヴュルフラン氏は、工場の従業員のための福祉に力を入れるようになり、多くの人々の愛を獲得するのです。
訳者の方のあとがきによると、エクトール・マロがこの物語を書くきっかけは、労働者と企業家とが手を取り合ってともに働き生活する理想社会を描こうとしたことにあったそうで、この結末が最初に構想されたものだったようです。
孤独な老人と少女にとっての「ファミーユ」だけでなく、労働者たちにとっての家族的な社会の姿も書かれた温かい物語。パリカールも最後に再び姿をあらわして、大満足です。
ところで、いったい何を売ればいいものか……