2018.03.25 Sunday
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「あいつはもう永遠に僕らから失われた」少女少年小説選と言いましても、これ、少女少年たちのために書かれた作品という印象は受けません。大人にとっては失われてしまった「昨日のように遠い日」々、物語の中に結晶化された少年少女たちの物語集という感じがいたします。とはいえ、これ、新しい児童文学を追求する(?)季刊誌「飛ぶ教室」の第8号、柴田氏がゲストエディターとして招かれた巻で取り上げた作品たちに、アレクサンダル・ヘモンの「島」が加えられた内容なのだそうです。確かに、少年少女たちに、どうだ、どうだぁっと、つきつけてみたいような気もしますが、でも、やっぱり、10年早いといわんばかりに、私としては少年少女の前からさっと取り上げ、ニヤリと笑ってささっと懐にしまいこみたいです。
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しめった土と かわいた土の
中のあいさに あるそうな
仙女が原の宝もの
リンクのとりでと ますみのツイード
あいさにうもれて 九百年
九人の王の 身のしろ金
アシステキールの森かげの、長いものうい日々−−−あまりに美しい日々は、ついには人に迷信じみた幻想をあたえるものだ。人は、あやかしの国にただひとり置き去りにされたかのように思い、また二匹の白い鹿が矢のように走り過ぎながら、かつて詩人のトマスにしたように、妖精の国にかえれ……との宣告を告げて行くのを見るかとばかり思うのだ。
短編小説は散文よりもむしろ詩の領域にぞくしているのである。つまり詩的なひらめき、あるいは技法的な冴えが求められる。文学は文芸ともいわれるように言葉の、文章の芸である。とくに「芸術」の国フランスでは、無芸の作家の存在はゆるされない、というか考えられないのである。したがって作家が短篇に手をそめるとき、おそらく彼は「フィクション芸術のエッセンス」とよばれるにふさわしい表現を目ざして芸を競い,おもれのエスプリを証明する場として短篇を考えているのである。観察のするどさ、苦しみの有るユーモア、凝縮された表現、比喩のたくみさ、会話の洗練、意表をつく筋の展開、結末のひねり。−−−以上のようなフランス短篇の特徴が、ここに収められた作品のいずれのうちにも多少とも見出されるはずである。
編者解説