2018.03.25 Sunday
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あの男はヘンリー様にたいして特別な悪意に動かされていたのだろうか。それとも、自分の利益とみなしたものが動機だったのか。あるいは、猫が示し、神学者によれば悪魔も示すという、あの嗜虐性が原因に過ぎないのか。あるいは、あの男が愛と称したであろうものが原因なのか。通例私は最初の三つのいずれかだと考えるが、あるいは四つの要素がすべて彼の行動の源に潜んでいたのかもしれない。
「明日からおれと運命をともにしろ。おれの奴隷になれ。おれの所持品になれ。おれの手足や心と同様、おれの意のままになれ。そうすれば、おれが怒ったときに世間の奴らの視線にさらすあの邪悪な一面も、二度と見ないですむだろうからな。おれは中途半端は許さん。だが、全面的な献身に対しては、利子をつけて立派に報いるんだ。おれには王者の気質が備わっている。そのために損をしているんだ。」そんな俺様攻めに対して、ピシャリピシャリとその手をはねのける強気受け執事。そんな二人のやりとりこそが、書中最もスリリングでした。
評価:
よしだ みどり 祥伝社 ¥ 880 (2000-10) |
ヨシダは熱烈に未来への夢を抱いていたことを、当惑もせず回想することができた。たとえ成り行きが予想に反して、目的を達成することが出来ないと分かったとしても、それはただ、別の目的のために、より一層の努力をする勇気をもつ理由になっただけであった。自国の現状を憂い、よりよい国づくりのため、さまざまなことを試みるも、幾多の障害にそれを阻まれたものの、最後まで諦めることなく、出来得ることをなし続けた生涯。松陰は”二十一回猛子”と自称していたそうですが、この二十一回は、吉田の漢字をばらばらにして組替えて造られたものであるものの、そこには、挫けることがあろうとも、二十一回は、自分の信じるところを貫くという強い意志が込められているのだそうで、ここで著された松陰の生き様は、まさにそのとおりのものです。
彼の人生と体力と時間のすべてを捧げて、ついには命をも投げ打ってまで得ようとしたものは、今日の日本が広く享受し、大いに恩恵に浴しているものであることを忘れてはならない