2018.03.25 Sunday
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きみのことを悪い子だなんてわけないです。はい。
本の題で呼んでいるのは
行儀作法が無茶苦茶なのは
きみの年頃では当たり前だから
この貴重な書物が与える教訓は
(ちゃんと理解されるならば)
やんちゃで腕白なきみを、ありえないくらい
良い子にしてくれる
さらにもうひとつ、偉大な真理を詩によって記すならば
蝮には毒があるやつと、まったく無害なやつがいます
この事実は以下の手順で証明できるでしょう
二匹の蝮を手に入れて、きみのからだを噛ませるのです
最初の一匹では、単に恐くてぎょっとなるだけですが
二匹目がおわったころには、きみの命はないでしょう
この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい。ヒバリやキリギリスにしたって、夢は見るというのだから。そしてその<丘の屋敷>も、どこか夢見るような姿で、内に黒い闇を抱え、いくつもの小高い丘を背にしてぽつんと淋しく建っていた。これまでの八十年間、これはそうして存在してきたし、この先の八十年間も、このまま残っていくだろう。中に入れば今も壁はまっすぐに立っていて、積まれた煉瓦に崩れはなく、床は頑丈で、ドアも隙間なくきちんと閉まっている。それら<屋敷>を構成している木材や石材には、どこも静寂が重く降りていて、ここを歩く者はみな、ひとりひっそり歩くしかない。
「あら、丘は落ちてくるんじゃないわ。いつのまにか静かに滑り降りてきて、気づいて逃げ出すあなたのことを、そのままするりと呑み込んじゃうの」いつのまにか静かにすべり降りてきていた何かに、はっと気づかされる恐怖なのです。
「この屋敷の本質は“邪悪”だとわたしは考えている」まだまだ続く残暑の中、是非この恐怖をお試しください。
この王子が―――と著者は続けて言う―――天に代わって道を行った奇妙な冒険の物語をすべて書き記せば、地球は本で埋まってしまうであろう。しかし、『ラージャのダイヤモンド』にまつわる物語は、面白すぎて割愛するには惜しい、と著者は言う。われわれは抜かりなくこの東洋人の後に随って、その物語をはじめるとしよう―――まずは「丸箱の話」から。
ザラファ(キリン)の物語はどこから見ても終始、不条理な出逢いに満ちている―――アフリカの奴隷貿易とヨーロッパの啓蒙主義が面と向きあう時代を背景とする物語は、白ナイルと青ナイルがじつは競いつつ合流してナイルになるのと同様に、一見単純だが奥が深い。奥深いんです。ホントに。
メリキャット お茶でもいかがと コニー姉さん
とんでもない 毒入りでしょうと メリキャット
メリキャット おやすみなさいと コニー姉さん
深さ十フィートの お墓のなかで!
「あたしたち、とっても幸せね」混沌とした廃墟のような建物の中に作り上げられた、まるで結晶中の世界のごとく、閉ざされた二人だけの美しく幸福な世界についての、メリキャットの言葉を否定できないことです。
「かわいそうな、知らない人たち」「いろんなことをこわがらなくちゃいけないのね」私もまた、そんな世界から締め出されたかわいそうな人々の一員なのですから。
「われわれはみな、他者の意図ないし目的については盲目も同然なのだ.日常の些細な営為のひとつひとつに、隠された意味合いがあまた含まれており、それらはどれほど明敏な審問官にたいしても、やすやすとその企図を告白することなどないのである。」章ごとの冒頭に付されたジョーゼフ・グランヴィル『勝ち誇るサドカイびと』からの引用がまた意味深で、なんだか魅力的です。
「善き天使らはおおむね、悪しき天使らの悪意と暴力にたいするわれわれの番人であり防壁でもあるのだが、それでもときには、悪意や羨望や復讐欲など、本来の生命や自然とはおよそ正反対の性質にのみこまれてしまったものたちを、見捨てることがありうると見なされている。」