2018.03.25 Sunday
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文房具はどれもみな物である。物ではあっても付合いが深くなると単なる物とは言い難い。
用途が広くて便利だというものは、文房具類に限らず、ほんとうの用途が忘れられていることが多い。この大量に使われているセロハンテープの、ほんとうの用途は何だろうか。それを時々考えていつも分からなくなってしまう。洋服の埃とりは、まさか真の用途ではあるまい。
道具の素晴らしい物がこうしてあれば、なんでも使えればそれでいいという気持ちでいられなくなるのも当然のように思われる。それは単なる贅沢ではなしに、芸術に対する烈しい執着であろう。
スピードを常に要求している世の中に生活をしながら、それに順応するための努力もしているつもりであるが、個人の仕事場で、それも文章や絵を描くような仕事をしていると、鉛筆を削る時ぐらいはひと息入れたいと思う。小刀で鉛筆を削っている間に、なかなかいいことを思いつくのである。
「言明されえぬものがぼくの興味を惹くのだ、と彼は考える。ぼくは明瞭に描きすぎた。すべてを説明してはならない、そうなのだ。ステラに手紙を書いた。―――きみにわかるだろうか。ぼくはあまりに長いこと再現ばかりしてきたような気がする。いまは自分だけの新しいなにかを創ろうとしている。暗示は表象よりもはるかに重要だ。ばくは自分の絵を現実または非現実の断片と見る。一連の不可逆的なできごとから適当に切りとられた断片という意味でね。だからぼくが描く闇はどこまでも続く。その闇に剣呑な光の筋を縦横に走らせる・・・。ステラ、ぼくはもう挿絵を描いているんじゃない。ぼくだけの絵を描いている、文章はそっちのけで。説明はだれかがしてくれるだろう。」(「黒と白―――エドワード・ゴーリーに捧ぐ」より)