2018.03.25 Sunday
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
| - | | - | -
「わたしがわたしのために
あらかじめすべてを
赦してやっているからだ」
「誰よりもふざけているのはわたしだからだ」
あなたの言葉が聞きたい。
きっと私は、ただひとつ、そのために、この本を贈ります。
目には見えないけれど、あなたの中に、感情があり、想いがあり、意志がある。
それを言葉にして、外に表し、人に通じさせてほしいのです。
「自分が好きなことが必ずどこかにあって、自分がそれにふさわしい才能を持っているっていうふうに思いこんでしまった段階から、なにかこう「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところもあると思うの。」自分の個性や才能は、「人に出会って、関わって、自分の価値を認めた相手の中にある」のではないのか。
―――時は1992年春。
84歳のリンドグレーンに会いにいきます。
アリステッド・リンドグレーンは、今の時代の多くの子どもたちに、もっと遊んでほしいと心から願っています。なぜなら、子ども時代によく遊んでおくと、自分の中に一生使える財産を作ることができるからです。心の中に築かれたこのあたたかい世界は、困難に陥ったとき、それに立ち向かう力になってくれます。何が起きようと、何をしようと、頼ることができる世界をもつことになるのです。
わたしはわたしではない。哀れなわたしの物語よ
それが人生というものだ。小説のふりをしたひと握りの短篇というやつが
ある模様に縫い合わされた時間という織物があって、その中を、私は幽霊のように足音をたてずに移動しているのでした。
「私は経験豊かな旅人なの。たくさん旅をしたの。」
「そうなのよヨランダ。」フィオリモンド姫はたのしそうにわらっていいました。「あのひとからの最高の贈り物だわ。でも珠がひとつでは見栄えがしないわね。そのうちまたひとつ、またひとつと、最初のに見劣りしないのをずらっとならべたいわ。」
わたしには子供時代がとても外国の地のようには思えないのですよ。いろんな意味で、わたしはずっとそこで生きつづけてきたのです。
使命感のことや、それを回避しようとするなど無駄なことだと口にするとき、彼女はわたしのことと同時に自分自身のことも考えているような気がしてならない。おそらくそんな心配などせずに、人生を送っていくことのできる人もいるのだろう。しかし、わたしたちのようなものにとっては、消えてしまった両親の影を何年も追いかけている孤児のように世界に立ち向かうのが運命なのだ。最後まで使命を遂行しようとしながら、最善をつくすより他にないのだ。そうするまで、わたしたちには心の平安は許されないのだから。