2018.03.25 Sunday
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迷路とは人間の精神の構造そのものであって、それとそっくりなものなの。”森”の中で迷子になったとしても、心と同じだと、類推をできるからいつでも慰められる。けれども”森林”の中で迷子になることは、自分の世界で迷子になってしまうことだ。だから、光に見捨てられ、自分を見出すこともほかのものから見出されるという保証も何もなくてまったく道を失ってしまう。これは意志に反しておこり―――いえ、もっとひどいのは自分自身の欲望によって生じ―――人間界から永遠に不在となってしまう。それは生存のカタストロフィー、というのも、”森林”は無限に果てしない人間の心のようなものだから。
まったく自然の不思議は人知のおよぶところではないのである。
漢字の世界は、おのずから秩序をもつ世界として、私たちの「物語」のうちに紡がれ、語られてゆかねばなりません。漢字をそれぞれ切り離して、その一字一字を孤立したものとしてあつかうのなら、その漢字は、あたかも星座の「物語」から追放された星屑の一塊にとどまってしまいます。