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JUGEMテーマ:読書
積んでしまっている本を少しでも減らしたいと、日々思ってはいるのですが、日々新たな興味がむくむくと湧いてくるため、次々と新たに購入する羽目になり、一向に減る気配がありません。それ故、今が読み時か!という瞬間が訪れた場合は、ためらうことなく飛びつくべし。と言うわけで、絶対読むなら今!な、今村夏子さんの書に手をつけました。
太宰賞、三島賞受賞作、良い!良い!という評判はこれでもかというほど目にしていたためかなり期待していましたが、そんな予想の斜め上をいく物語でした。
表題作「こちらあみ子」、主人公のあみ子は、ちょっとアレな、軽度な知的障害か発達障害があるのかもという感じの女の子で、そんな彼女の世界が物語られています。
あみ子の世界を読むというよりは、体験させられる感じなのですが、家の車に刻まれた言葉、「あみ子の馬鹿」が、あみ子には読めないけれども、読者には読めるように、語られている出来事に対するあみ子の認識と、それを読んでいる読者の認識は、大いにずれています。周囲の残酷さも、あみ子自身の無垢なるが故の残酷さも、あみ子は感じていませんが、読者はずっとその残酷さにさらされ続けるのです。片方だけの壊れたトランシーバーのような、他者からの声をうまく受信も出来なければ、自分からの発信もうまく届けられないあみ子。でも、無垢に一途にあみ子は繋がろうと発信し続けているのです。だからといって、もどかしい思いに身を引き裂かれそうになるのは読者ばかりで、当のあみ子は、自分の関心のないことは実に軽やかに受け流してゆくばかり。語りと、こちらに引き起こされた感情とのズレが大きすぎて、なんなんだこれは!?です。
「ピクニック」もすごい物語です。端的に言うと虚言癖があるような女性が追い詰められる物語でありながら、全くそのようには語られていません。「ルミたち」というように集団を主語にすることで、その中の個人を匿名、透明にし、個々人の持つ悪意が消されています。集団としての正義が物語に押し付けられているため、善意、好意として、陰湿な行為が語られてゆくのです。非常に残酷なのに、物語のトーンは非常に明るく楽しい気持ちの悪さ。洒落た新築の家に住む、可愛い赤ちゃんのいる女性が投げ捨てる生ゴミを、そのちょっと下流で、汚部屋に住むアラフォーのおそらく妄想の恋人しかいない女性が、すっかり慣れた手つきで浚うという対比も酷いですが、その光景を見ている“悪意無き”ルミたちがピーナッツを投げている光景が、実にグロテスク。でもすっごく可笑しい。なんなの、これ!?
「シズさん」は、痴呆症と思しき一人暮らしの老女と、一方的に繋がっている異様な人物視点の物語。理解をこえた奇妙な人物でありながら、変なところで同調させられそうになる心地の悪さがたまりません。
どれも不思議な異界を覗かされたような作品でありながら、そこに描かれた残酷さや恐さは、すごくなじみ深くもあって、遠くて近い、ふしぎな印象。なんなんだ、これは。